2005年 09月 24日
僥倖
貨幣が流通するがごとく(この使い古された譬えを再び取り上げるならば)の通常の言葉と同じ語を使って、散文ではなく1篇の<詩>を編み出すことの困難さ(そしてこれこそがまさに詩人というものの試練なわけだが)というものを述べつつ、ヴァレリーが決まって引き合いに出すのは音楽である。『音楽家というものは幸せです!…』

こうした、およそ文学者、特に詩人というものがひょっとすると皆等しく持っているのかも知れないような、音楽に対する、音楽という表現形式に対する、羨望ないし(こう言って良ければ)嫉妬、は、だが逆に、およそ音楽家(作曲家)が抱いているのかもしれないところの、文学に対する、言葉を使った表現形式に対する、<詩>に対する、"逆恨み"とでも言いたいようなものと、比較することが出来るだろう。

言葉へと回帰していくということ。言葉で言い表せない感動といったものですら、結局は言葉へと収斂させざるを得ないということ。これはおよそ人間というものの条件であろう。初めに言葉ありき。もし音楽が言葉と僥倖なる婚姻をすることが出来るならば、それは、両者がそれぞれ他方に向かって持つかもしれぬ不平をうまくとりなすことによってでしかあり得ない。音楽によって一篇の詩を編み出し、その詩はまさしく音楽であるのだ。結局、ヴァレリーが夢想した純粋詩とは、そういった体のものであっただろう。

by junitchy | 2005-09-24 15:22 | 冗語縷々


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