2012年 12月 24日
石仏 - 常寂光寺
今年は、2月と11月の二回、京都へ行ったのだった。

この二回とも訪れたのは、嵯峨野の常寂光寺と、京北の常照皇寺。

写真もたくさん撮ったのだが、今まで公開出来ないでいた。

撮影後すぐにブログにアップされている方々が多いし、この「即時性」こそがSNSやブログなどの特徴でもあるわけだが、私はどうしても、撮影画像を公開するためにはしばしの「熟成期間」というか、時間的な経過が必要な気がしているのだ。写真が写真たりうるために。単なる記録としての写真から逃れるために。

これはやはり、フィルムで撮影して、現像に出して、戻ってくる、というこの「迂回」を介して初めて写真が自分の所有になる、という感覚からまだ抜けきれないということなのかもしれない(そしてもちろん、フィルムの場合はこの後にさらにスキャン作業が待ち構えているわけだが)。デジタルの場合はこのような迂回が無い分、時間的にしばし「放置」しておきたくなるのだ。この時間経過が、撮影画像に対して対等に(?)接することの出来るための準備期間なのだという気がしている。

…いやまあ、単にすぐに見返すのが面倒なだけで、その言い訳をあれこれと考えているに過ぎないのかも知れないが。


こうしたことを口実としておいて、今さらながら、今年2月に撮っていた写真などを幾つか見返してみよう。


 *


真冬の常寂光寺。
訪れて私の目に留まったのは、小さな滝の手前に座している、小さな石仏だった。
すかさずローライフレックスを構えて、一枚撮影。

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ROLLEIFLEX 2,8F (Carl Zeiss Planar 1:2,8 f=80mm), Kodak E100VS
EPSON GT-X970 (@3200dpi)


 

この後、境内をひととおり回ってから、他の観光客は素通りしてしまうようなこの石仏の前に再び戻り、私はひざをついて何枚も撮影してしまった。私はもともと、こうした小さな石仏、何気ない石仏が大好きなのだ。

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SONY NEX-5N Distagon 2,8/25mm(1枚目)、Sonnar 2,8/85mm(2〜4枚目)
Lightroom 3 (RAW) + Photoshop CS5



改めて見返すと、真横から見たとき、下から見たとき、上から見たときでそれぞれ表情が少しずつ違って見えるのがまた良い。苦行に耐えているようでもあり、澄まし顔でもあり、平穏そのものの表情でもある。それぞれの写真において、この石仏は、それぞれの生を生きているようだ。


写真とは、つまり、こういうことなのだ。それは「生ける現在」の複製ではなく、あくまでも「死後の生」(sur-vivre) なのであり、写真は死後の生を生きるのである。云々、云々…。




 

 



 
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# by junitchy | 2012-12-24 16:10 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 11月 04日
戸隠・鏡池・曇り空
2012年10月27日、日曜日。

紅葉が盛りの戸隠はどんよりとした曇り空。青空と紅葉を期待して来たので、やや残念。

ハイキングコースを散策し、鏡池に着いた昼前頃もまだ曇っていたのだが、ふと、日差しが差し込んで池の向うの色づいた木々を照らす。

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(SONY NEX-5N + Carl Zeiss Biogon 2/35 ZM, Lightroom3 (JPEG) + Photoshop CS5)
 
 
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(SONY NEX-5N + Carl Zeiss Biogon 2,8/25 ZM, Lightroom3 (JPEG) + Photoshop CS5)

またすぐに陰ってしまったが、灰色の空のもと、雲に弱められた絶妙な光加減で、なんと言うか「凄み」のある色調だ。青空の下で映える紅葉ももちろん良いが、どんよりした曇り空に見る紅葉もまた美しいものだ。




 
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# by junitchy | 2012-11-04 22:11 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 10月 08日
栂池・展望・白馬
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2012/10/8
栂池自然園・展望湿原にて
iPhone 4S + Photoshop express



おそらく10年振りに、栂池自然園へ。
今日は朝から晴天。だが眼前の白馬連山には流れ雲が掛かってきてしまった。
一足早く紅葉を堪能することが出来て満足だが、やはりもっとゆっくり(できれば一泊して)回りたかった。まあ、また次回に。
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# by junitchy | 2012-10-08 20:29 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 10月 06日
休日散策 (NEX 5N + Biogon 2,8/25 ZM)
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ニコライ堂、門前より。

 
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お茶の水付近。

 
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湯島聖堂。

 
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上野公園にて、秋の空。


 
2012/9/29 東京
SONY NEX-5N + Carl Zeiss Biogon 2,8/25 ZM
Lightroom3 (RAW) + Photoshop CS5


 *

ZMレンズ第二弾としてBiogon 35mmF2に続いて導入したのが、Biogon 25mmF2,8。CONTAX Gシリーズには無かった焦点距離なので、35mmとともに前々から気になっていた。角形フードを付けて、5Nにも良く似合う。25mmは5Nでは37.5mm相当となり、ほぼ広角35mmレンズの感覚で使えるので街角スナップで使いやすい。

この日は、このレンズ一本で神田〜お茶の水〜上野あたりを散策。考えてみると、このあたりで写真を撮ったことはあまりなかった。ほとんど気付かれない小さな神社や、世俗的な大きな神社などへも回ってみた。普段よく行く街の、普段は歩かない道に入り込むこと、これが散策の面白さだ。



 


 
 
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# by junitchy | 2012-10-06 15:01 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 10月 03日
東京ゲートブリッジ (NEX 5N + Super Wide-Heliar 15mm F4.5)
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2012/9/16 東京ゲートブリッジにて
SONY NEX-5N + Voigtlander Super Wide-Heliar 15mm F4.5 Aspherical II
Lightroom3 (RAW) + Photoshop CS5

  *

強烈な存在感を放つ東京ゲートブリッジを、コントラスト強めのモノクロにて。
洋上に掛かる橋、というよりも、天空の下に延びる橋というイメージで、白く輝く雲とともに。

すぐ近くの羽田空港へ向かって着陸体勢に入った飛行機が、上空をかすめるように頻繁に見える。
橋の歩道を歩くと海風が吹き抜けてとても爽快だが、海面から60m以上あるので高いところが苦手な人は駄目だろう。


 
 
 
 
 
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# by junitchy | 2012-10-03 00:06 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 09月 23日
城ヶ島 (NEX 5N + Biogon 2/35 ZM)
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2012/9/9 城ヶ島にて
SONY NEX-5N + Carl Zeiss Biogon 2/35 ZM
Lightroom3 (RAW) + Photoshop CS5


   *


前回のエントリと同じ日の撮影。Super Wide-Heliar 15mm F4.5を購入後に他のMマウントレンズも使ってみたくなり、今月頭に購入したのが、Carl Zeiss Biogon 35mmF2 ZM。5Nで使用すると52.5mm相当で、これも使用感はほぼ50mm。この日が初使用だったのだが、とても使いやすい印象。5N用の標準レンズとして定番となりそうだ。





 
 
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# by junitchy | 2012-09-23 22:32 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 09月 16日
城ヶ島 (NEX 5N + Super Wide-Heliar 15mm F4.5)
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2012/9/9 城ヶ島にて
SONY NEX-5N + Voigtlander Super Wide-Heliar 15mm F4.5 Aspherical II
Lightroom3 (RAW) + Photoshop CS5


   *


Mマウントアダプターとともに、フォクトレンダーの超広角レンズSuper Wide-Heliar 15mm F4.5を導入した。5Nで使用すると22.5mm相当となるが、使用感はほぼ21mmレンズと同じ。

これはちょうど、CONTAX G2でBiogon 21mm F2,8を使用している感覚に近い。5NにEVFを付けて撮影していると、まさに、G2に21mm用のビューファインダーを付けて撮影しているのと錯覚してしまいそうだ。そして、かつてG2とBiogon21mmで撮ったのと同じように、縦構図で、何枚も撮ってしまった。とても、良い感じだ。




 
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# by junitchy | 2012-09-16 03:03 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 08月 12日
高幡不動・紫陽花


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2012/6/17 高幡不動にて

SONY NEX-5N
Carl Zeiss Distagon 2,8/28 (for CONTAX) (1)
Carl Zeiss Makro-Planar 2,8/60 (for CONTAX) (2-5)
Lightroom3 (RAW) + Photoshop CS5.





 
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# by junitchy | 2012-08-12 00:47 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 07月 25日
A la table..

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2012/7/16  横浜・山手西洋館にて

SONY NEX-5N +
Carl Zeiss Biogon 2,8/28 (for CONTAX G) (1,2),
Carl Zeiss Planar 2/45 (for CONTAX G) (3-5).
Lightroom 3 (RAW) + Photoshop CS5.









 
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# by junitchy | 2012-07-25 23:37 | 写真折節 | Comments(0)
2012年 06月 24日
ことの葉の花たちばな

ことの葉の花たちばな
(2010年6月〜)


「本歌取り」ーーーそれは一つの技法、つまり、かつて古典の授業で(ことによると単に暗記すべき一事項として)学んだであろうように、『新古今和歌集』の時代に大いにもてはやされた、和歌的技法である。

簡単におさらいしておくと、先行する古歌、特に『古今』『後撰』『拾遺』の三代集や『伊勢物語』『源氏物語』などに所収の歌を対象にして、その歌の句の一部をそのまま使い、元歌の持つ内容や情景を巧みに利用しつつ新たな歌に仕上げるというものだ。

そう、確かに技法には違いない。実際、それを体系化した藤原定家は、本歌取りにおける数々の「作法」を定めているし、そういった様々な決まりごとに規制されるかたちで、それ以降の詠歌は型にはまっていったとすら言われているのであるから。

だが、そういった見地から離れて、古典文学要覧のある一項目を単に占めることになったのであろうような一遍通りの知識から、それを救い出すべきなのだ。

だからこそ敢えてこう言おう、本歌取り、それはイマジネーションの連鎖の謂いであり、そこで行なわれているのは、イメージの重層化、トランスポジシヨン(転移)であり、優れて創造的な営みなのである、と。

   *

ここに一首の和歌がある。『古今和歌集』に所収の、人口に膾炙した歌であり、それこそ国語の教科書にも載るほどの、古来つとに名高いものだ。誰の作なのか伝わらないその歌は、爾来、本歌取りなどという枠を遥かに超えて、既にして一つの伝統を、そしてそれだけで既に一つの文化を、形作っているとすら言えよう。

五月(さつき)待つ
 花たちばなの香をかげば
  昔の人の袖の香ぞする

 初夏の五月を待って咲き初むる花たちばなの香りをかいでみると、
 かつて見知ったあの人が袖に焚きしめていた、あの香りがするんだ。

『古今和歌集』巻第三、夏歌、読み人知らず


この、何気なく詠まれたかのごとき一首。何故これほどまでに、この歌は後世に影響を与え続けたのだろう。

先ず、この歌は『伊勢物語』の一挿話を生んだ。「男」は、その香りによって、かつて知った女であることに気付く。そして男は、それとなくそのことを知らせるために、女にかの歌を読み掛けるのだーー「昔の人の袖の香ぞする」と。すると女は、男の許を去ってしまった我が身を恥じて、尼になってしまったという。

また、『源氏物語』の「花散里」の巻で、源氏は麗景殿女御の邸宅を訪れる。初夏の夜、二十日の月が昇って来る時分、たちばなの花の香りが仄かに漂うなか、懐かしく昔語りを交わしていると、近くでほととぎすが鳴く。源氏は自らをそのほととぎすに準(なずら)えて、『万葉集』所収の大伴旅人「橘の花散る里の霍公鳥(ほととぎす) 片恋しつつ鳴く日しぞ多き」をも踏まえつつ、

橘の香をなつかしみ
 ほととぎす
  花散る里をたづねてぞとふ

 昔を思い出せるという橘の香りに心惹かれて、
 ほととぎすは花の散ったこのお邸を訪ねて来たのです。

と詠み掛ける。
成立から100年経った時点において既に『古今和歌集』は現代の我々が享受するのとほとんど同じ意味で<古典>になっており、『源氏物語』の成立にとっても無くてはならないもの、通奏低音のように『源氏』を下から支えるものとなっていた。この初夏の宵の昔語りの場面でも、花たちばなの古歌の趣きを優美に敷衍して、豊かなニュアンスを与えている。

紫式部とともに中古三十六歌仙に数えられる女流歌人、相模の次の一首でも、懐旧の情と花たちばなの香りとは、即座に交-感(correspond)する。

さみだれの空なつかしく匂ふかな
 花たちばなに風や吹くらむ

 五月雨の空には、懐かしく感じさせる香りが漂っているよ。
 さては、花たちばなのもとに、風が吹いているのでしょうか。

 『後拾遺和歌集』巻第三、夏


そして『源氏物語』から美的感覚の点で多大なる薫陶を受けたといえる『新古今』時代の歌人たちによってそれはさらに深化され、確立されることになる。

俊成卿女の歌、

橘の匂ふあたりのうたたねは
 夢もむかしの袖の香ぞする

 たちばなの香の漂っているあたりでうたた寝をすると、
 その夢のなかでも、昔の人の懐かしい袖の香りがするのです。


そしてまた、式子内親王の歌、

かへり来ぬ
 むかしを今と思ひ寝の
  夢の枕に匂ふたちばな

 もう還ってくることのない昔を、今のことのように思い出しながら眠りに落ちて、
 その夢の枕元に匂い漂うのは、たちばなの香り。

『新古今和歌集』巻第三、夏歌


そうしてそれは、室町時代、二十一代集の掉尾を飾る『新続古今和歌集』の撰者、飛鳥井雅世が自ら選んだ一首へと連綿と続いていくのである。

言の葉の
 花たちばなにしのぶぞよ
  代々のむかしの風の匂ひを

 歌に詠まれた花たちばなをよすがとして、懐かしく思うのだよ、
 過ぎ去った様々な時代から吹き寄せてくる、花たちばなの香るあの風の匂いを。

 『新続古今和歌集』巻第三、夏歌

古今和歌集から遥か500年という歳月を隔てて、昔を偲ぶ花橘の古歌を偲びつつ、昔そのものに想いを馳せているのである。

   *

さて私は、実際の花たちばなを知らないし、その花を見たことがなく、その香りをかいだこともない。それなのに何故、私はこの花、昔のことに思いを馳せるよすがとしてのこの花の香に、かくまでも惹かれるのか。

それがまさに、言葉というものの営みである。そしてそれは文化というものの営みそのものなのだ。

名の知れぬ誰かのほんの気まぐれのような発想が、その後の歌詠みに如何に多大なる影響を与えたことか。このことはいくら強調しても十分ではないであろう。そして文化の継承ということが起こるとすれば、それは先ずは「読む」ことから始まるのである。我々は、つまり、文化の担い手としての我々は、もっと古典を読まねばならない。

だからこれからもずっと、例えば「花たちばな」の歌に、触発され続けなければならないのだ。その香を夏の風の中に仄かに感じ取りながら。そしてまた、古代から吹き寄せる「ことの葉の風」に、身を委ねながら。


(〜2012年6月)












 
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# by junitchy | 2012-06-24 01:37 | 和歌逍遥 | Comments(0)