2014年 02月 22日
雪の止んだ朝
e0077380_20144100.jpg


e0077380_20142055.jpg


e0077380_20143592.jpg



2014年2月9日 朝
LEICA M MONOCHROM + Carl Zeiss Biogon 2/35 ZM
Adobe Photoshop Lightroom 5, Nik Silver Efex Pro 2, Adobe Photoshop CS6


  *


これは最初の大雪(2月8日)の翌朝、登山靴を履いて近所を歩き回ったときのもの。
積雪が20cm以上のところも多く、ちゃんとした防雪装備ではなかったので靴の中まで雪が入って冷たくて大変だった。

この日は、家回りの雪掻きをしたあと、別の(冬山用に以前買った)より大きな登山靴を履いて鎌倉へ出かけてみたが、雪のため危険とのことで拝観を停止している寺院が多かった。


2回目の大雪(2月15日)ではさらに積もったが、その翌日以降から急速に解けていき、今では日当りの悪い場所に部分的に残っているのみ。

来週には、春は来るだろうか。





 
[PR]

# by junitchy | 2014-02-22 20:42 | 写真折節 | Comments(2)
2014年 01月 13日
試し撮り その3(Leica M Monochrom) 城ヶ島にて
e0077380_1428243.jpg


e0077380_14283816.jpg


e0077380_14285515.jpg




2014年1月5日 城ヶ島にて

LEICA M MONOCHROM,
Carl Zeiss C Biogon 4,5/21 ZM (1)
Carl Zeiss Biogon 2/35 ZM (2)
Carl Zeiss Planar 2/50 ZM (3)
Nik Silver Efex Pro 2, Adobe Photoshop CS6





 
[PR]

# by junitchy | 2014-01-13 14:32 | 写真折節 | Comments(0)
2014年 01月 03日
試し撮り その2(Leica M Monochrom)
試し撮り第二弾。
東京駅から有楽町、銀座、そして丸の内方面へぐるっと歩いて回りながら夜の街撮り。
レンズはC Sonnar 1.5/50を絞り開放で。

e0077380_18334264.jpg

 
e0077380_1834227.jpg

 
e0077380_18341913.jpg

 
e0077380_18343871.jpg


e0077380_1835094.jpg



2013年12月30日 丸の内〜銀座付近
LEICA M MONOCHROM, Carl Zeiss C Sonnar 1,5/50 ZM
Nik Silver Efex Pro 2, Adobe Photoshop CS6





 
[PR]

# by junitchy | 2014-01-03 18:50 | 写真折節 | Comments(0)
2013年 12月 31日
試し撮り(Leica M Monochrom)
e0077380_1425475.jpg

 
 
e0077380_143820.jpg

 
 
2013年12月29日 西新宿にて
LEICA M MONOCHROM
Carl Zeiss C Sonnar 1,5/50 ZM (1)
Carl Zeiss C Biogon 4,5/21 ZM (2)
Silver Efex Pro 2


  *


ライカMモノクローム。初撮影は、西新宿の都庁にて。

C Sonnarは今月の頭に購入していたのだが、その時点ではすでLMMで使ってみたいと思っていたのだった。この日の撮影はずっと絞り開放で。ピントに芯のある感じがとても良い。
C Biogonでは周辺部の光量落ちが目立つが、あえて補正はせずそのままに。この周辺落ちがBiogonの個性だと思っているので。

画像は、Silver Efex Pro にてフィルム・ライクなトーン(ILFORD 100 DELTA風)を選び、微調整したあとで黒縁を付けて、Photoshopにて縮小して完成。なかなか、良い感じだ。






 
 
[PR]

# by junitchy | 2013-12-31 14:37 | 写真折節 | Comments(0)
2013年 12月 09日
散りかけの楓
今年は結局、紅葉を撮りに行くことが出来なかった。
いろいろと撮影小旅行の計画を立てていたのだが、行けずじまい。
そこで、昨年2012年に撮っていた写真より蔵出しで、お茶を濁すことにする。


昨年秋、京都の常照皇寺を訪れたあと、ゆっくり歩いて周山バス停まで戻りながら立ち寄った小さな寺にて、散りかけの楓。
e0077380_23531111.jpg



  
古びた門の屋根の上にもみじ葉はいったん散り落ちつつ、すぐさま風に吹かれていく。ほんのひとときの光景。
e0077380_0134873.jpg



 
2012年11月24日 京北・宝光寺
SONY NEX-5N, Carl Zeiss Biogon 2/35 ZM
Lightroom 5 + Photoshop CS6




 
[PR]

# by junitchy | 2013-12-09 00:23 | 写真折節 | Comments(0)
2013年 09月 02日
A matter of dignity.
尊厳の問題。

(2011/5~)

某とかいう反捕鯨団体による、和歌山の捕鯨が盛んな或る漁村での執拗な嫌がらせの様子を撮影した映像を見た。

そこでは、漁民の顔面にビデオカメラを向け、漁民に対して悪態をつき、蔑みの言葉を発して、漁民が耐えかねて怒り出すところを撮影しようとしている反捕鯨団体の様子が映し出されていた。

執拗なカメラの追跡から顔をそらすと「恥ずかしいことをやっていると分かっているから顔を隠すのだろう、お前は負け犬だ」などと言っているのだが、それらの言葉は彼らの母国語(つまり英語)で喋られているのであり、彼らが独り言を呟いているのでない限り、それはその場にいる漁民に向けられているのではないし、少なくとも漁民が彼らの言葉を理解するかどうかは問題ではない。そうではなく、彼らの念頭にあるのは、きっとその動画をインターネットで見るであろう人々、彼らにとって最も大切な、彼らを金銭的に支援してくれるであろう人々が、それらの罵りの言葉が漁民に対して投げつけられているのを聞いてくれること、そのことだけだ。

彼らがそもそも漁民を相手にしているのではない以上、いかなる種類の話し合いも効果はないであろう。彼らは単に抗議する対象があればよいのであり、そもそもそれ以上でもそれ以下でもない。彼らの目的は抗議することそのものであり、抗議していることを見せることであるので、それによって事態が彼らの主張にとって進展したことになるかどうか、ということは二の次なのだ。

 *

反捕鯨団体は、捕鯨がいかに残虐かをアピールせんがためにクジラやイルカの屠殺の場面を撮影しようとする。漁民は、撮られまいとして大きなシートを張って覆いをするのだが、やはりその隙間から血まみれの屠殺体を撮られてしまう。その映像は即座にインターネットに公開され、それは新たな抗議と、新たな寄付行為を生むことになるのであろう。

だが何故、隠そうとするのか。決して後ろめたいことをしているわけではないのに。漁民たちは自問する。そうして見い出した答えは、命の尊厳、ということだった。命を絶って命を繋ぐ。この尊い命の犠牲に、報いなければならない。見世物のように、好奇の目に、それを利用しようとする者の目に晒してはならないのだ。このような思いは、漁民だけではなく、自ら精魂込めて育ててきた家畜を最後には屠ることになる畜産農家にも共通のものであろう。それは、厳かな行為であるべきなのだ。

いやそもそも、かつて人間は、他の動物と同じように生き延びて来たのだ。ただ単に、屠殺ということを現代生活では「見ずに済ませる」ことが出来ているのに過ぎない。だからそれを改めて見ること、知ることに意義はあるだろう。だがそれはまさに命の尊さを再認識する場であるべきであり、行為の見た目の残虐さを喧伝するためであってはならない。例えば食肉工場で、片足で逆さに吊るされた大量の鶏がラインの流れ作業のなかで絶命し、羽根を毟られ、皮を剥がれ、解体され、加工されるのと、クジラの一群が浅瀬に追い込まれて撲殺されるのと、どちらが残虐でどちらか残虐でないかなど、果たして如何なる基準で決められるというのだろうか。

反捕鯨団体のメンバーは鶏や牛の屠殺には全く注意を払わないばかりか、その厳かさなどということには関知しないからこそ、彼ら自身の生活には影響が及ばないクジラ・イルカ漁だけを取り上げて、その厳かな行為を見世物にすることができるのだろう。そして彼らは、彼らのカメラが映し出した映像がショッキングなものであればあるほど、彼らの収入に直結するということしか考えていないのだ。

 *

さて、自らの価値観を専ら相手に押しつけ、相手の言い分は聞く耳を持たない、そのような彼らの行動の根底には、キリスト教に通じる考え方があると思わざるを得ない。つまり、イエスの教えを守るのではなく、聖書に書かれたこと、後世に定めたその解釈だけを頑なに守る宗教である、ということを先に指摘したが、その意味でのキリスト教だ。

「汝の隣人を愛せよ」という言葉は、ありていに言って「隣人」がキリスト者であるか、ないしはキリスト者となる限りにおいてのみ通用するのであり、他宗派や、いわんや他の「邪悪」で「誤った」教えを信仰する者はそもそも「隣人」でさえもない。そのような者たちは、彼らキリスト者にとっては「滅ぶべき存在」であって「亡き者」も同然であるから、そこには「他なるもの」への畏敬の念などということは有り得ない。異なる考えを持つ他者とは、その隔たりのまま互いに分かり合うことの出来る「隣人」といったものではなく、自分の考えを相手に無理に押しつけるか、それでも受け入れなければ排除するかの「対象」でしかないのだ。そして厄介なのは、彼らはそれを正しい行いだと信じていることである。信念をもって、他者をないがしろするのだ。これはそのまま、某反捕鯨団体の行動に当てはまる…彼らが純粋に反捕鯨に信念を持っているならば、であるが。いやそれとも、これでは彼らをすっかり買いかぶっていることになるであろうか。

  *

だから、問題なのは尊厳ということだ。まずは、絶たれる命の尊厳。そして、人間の、他者の尊厳、ということ。

反捕鯨とは、こうした尊厳というものを「ないがしろ」にすることでのみ成り立っているのだ、と言えないだろうか。

(〜2012/1)







 
[PR]

# by junitchy | 2013-09-02 20:58 | Faits-Divers | Comments(0)
2013年 08月 28日
Voyage of the trieste..
(2013/02/22〜)


数年前(もう10年近くなるだろうか)、1960年代の洋楽(とりわけサイケデリック系)のCDを買いあさり、気に入った曲でプレイリストを作って聴いていた。

iPodで今でもたまに聴いているのだが、半世紀も前に作られて今ではほとんど忘れ去られたかのような、さりとて魅力の失せることのないあれらの楽曲を作った人々は、もしかすると既に亡くなってしまったか、存命でもかなりの高齢に達していることだろう。

何というか、当たり前のことなのだが、そのことが身に沁みて感じられる。

大量生産・大量消費社会にあって、大量の複製(レコード盤)によって売り出されることになった最初の世代の、あれらの無数のアーティストたち、そのほんの一握りだけが名を残し、後は忘れ去られていく。大量生産されて流通した音源だけが、否が応にも、過剰に存続するのに対して、それを作った者たちは不当なまでの忘却に晒されて。

当時の録音技術のこと差し引いて考えても、その音はまったく色褪せていない。これは単なる感傷的な表現などではなく、昨今の打ち込み系のペラペラした音に比べて遥かに厚みがあり、ハードディスクレコーディングで何らの劣化もなしに編集された音よりも、生身の音の気配が感じられる。

そもそも、楽曲そのものの質が高い。現代にまで続くポップ・ロック音楽の多くは、60年代に出尽くしていたのだと実感する。新たなテクノロジーによって可能となった音が後から増えただけだ。演奏技術も(何度も録り直して継ぎ接ぎに編集するといったことがまだ容易ではなく、自動演奏、ループ、シーケンサーなども無かった時代であり、基本的には一発録りに近いかたちで録音されていることを考えれば)今とは比べものにならない。

これらの楽曲が、繰り返すが半世紀も前に作られていることに改めて驚愕するのである。


   *


The Chocolate Watch Band。1967年のロサンゼルスで人気を博していたガレージ・バンドだ。彼らの二枚目のアルバム"The Inner Mystique"のオープニングを飾る佳曲"Voyage of the Trieste"は、ほぼ全編で魅惑的なフルートがフィーチャーされたサイケデリックな雰囲気満載のインストルメンタル曲で、私の今でもかなりのヘヴィローテーションになっているのだが、この曲では、実際のところ、バンドのメンバーは誰一人として演奏していない(というか彼らは彼らのセカンドアルバムの制作にはほとんど関わっていないらしい。この曲は"The Yo-Yo'z"という全く別のバンドによって録音されたのものだという。この後者はおそらくスタジオミュージシャンバンドの類だったのだろう)。

レコードレーベル側やプロデューサー達の勝手な意向に翻弄されて(時代の潮流に乗り、勝手にサイケデリック・バンドに仕立て上げられて)、自分たちの名義のレコードに自分たちの音源を使ってもらえず、その音源を作ったアーティストは陽の目を見ることも無い、というこの屈折した状況にあって(だがこれはコマーシャリズムの一端としてごくありふれたものだったのかも知れないが)、その楽曲そのものは、半ば忘れ去られつつも、存続し続けるのだ。

そして私はその曲に、この出自に、この上なく惹かれるのである。確かに誰かの手によって創り出されたに違いないのに、その誰かはもはや辿り得ず、誰のものでもないかのように彷徨い、時代を移ろいつつ超克し、今日に至るまで、その非存在を生き延びるのだ…。云々…。

(〜2013/8/28)
[PR]

# by junitchy | 2013-08-28 21:26 | 音楽所懐 | Comments(0)
2013年 06月 16日
試し撮り その3:新宿御苑にて
e0077380_934413.jpg


e0077380_935070.jpg


e0077380_935593.jpg


e0077380_94187.jpg


e0077380_946100.jpg



2013年6月2日 新宿御苑
FUJIFILM X-E1 + Carl Zeiss "Touit" Distagon 2,8/12
JPEG, Photoshop CS6




 
[PR]

# by junitchy | 2013-06-16 09:16 | 写真折節 | Comments(0)
2013年 06月 09日
竹庭
e0077380_8315290.jpg



  
e0077380_8315818.jpg



 
2013年3月17日 報国寺にて
FUJIFILM X-E1,
Carl Zeiss C Biogon 4,5/21 ZM
Carl Zeiss Planar 2/50 ZM
JPEG, Photoshop CS6


 *


カメラを購入した翌日の試し撮りで鎌倉へ。最初からほぼモノクロのみで撮影していた。
改めて見直していたのだが、レンズの特性がずばり出るセンサー特性だ。1枚目のビオゴンはやはりシャープで、トーンも豊富。2枚目のプラナーは絞り開放での撮影で難儀したが、蜘蛛の糸の繊細な表現が良い感じだ。



 
[PR]

# by junitchy | 2013-06-09 01:52 | 写真折節 | Comments(0)
2013年 06月 04日
試し撮り その2
増上寺にて。
e0077380_03859.jpg

 
e0077380_038155.jpg



 
芝公園にて。
e0077380_0382239.jpg

 
e0077380_0382993.jpg



 
2013年6月1日
FUJIFILM X-E1 + Carl Zeiss "Touit" Distagon 2,8/12
JPEG, Photoshop CS6



 
[PR]

# by junitchy | 2013-06-04 00:45 | 写真折節 | Comments(0)