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2011年 01月 11日
海へ

昨年11月、母が亡くなり、葬儀など一通りのことが終わったあと何だか無性に海が見たくなって、仕事復帰後の最初の週末に鎌倉へ行った。12月上旬のちょうど紅葉が始まった頃で、まずいくつかの寺を回って写真を撮ってから、夕方になる時分に由比ヶ浜へ向かった。初めから、夕日の海が目当てだったのだ。富士山も見えるかと思っていたが、自分が居た場所からは見えなかった。だがその日は、落日がとにかく美しくて、また残照が波打ち際を黄昏色に染め、いつまでもその場から離れ難かった。

夕日の海の富士山がやはり見たくなったので、その翌週にもまた鎌倉へ行った。今度は稲村ヶ崎から七里ヶ浜まで、波打ち際をずっと歩いた。ところがその日は夕方に掛けて雲が多く掛かってしまい、間近に見えるはずの富士山はほとんど見れなかった。夕焼けにもあまりならなかったが、赤黒く染まる水面を静かにたゆたう小舟と、そのずっと向こうの水平線を夕陽に向かって進んで行くタンカーのゆっくりとした動きに見入ってしまった。

動くもの 動かぬものは ただ波の うつろう色に 見まがえし影

やはりまだ夕日の海と富士山が気に掛かって、年末に今度は三浦半島の最南端、城ヶ島へ行った。ところがその日は海は大荒れ。まず、駅から乗ったバスが城ヶ島の手前止まりだったので城ヶ島大橋を徒歩で渡ったのだったが、体を取られそうになるほどの強風に橋の上で晒されて、実際かなり恐かった。
海辺に出るととてつもない強風が吹き荒れていた。かつて登山で体験した強風(富士山でだったか、それもと冬の八ヶ岳だったか)が思い起こされた。目を瞑ると、山と海とのイメージが交差し、現に今、山上にいるのではないか、山上で風に飛ばされているのではないか、というような錯覚に捕らわれた。そばに誰も居ないことを確かめてから、私は本当に、大声で、心から歌ってみた。"Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see..."

水しぶきが舞う、とかいうような生易しいものではないほどまでに潮が叩きつけてきて、海に向けてレンズを向けるとあっという間にレンズ表面が濡れてしまう。風が弱まる一瞬のタイミングを見計らってカメラを瞬時に構え、シャッターを切ったらすぐに海に背を向けて、クリーニングペーパーでレンズを拭かねばならなかった。こんな悪天候では海辺には人はほとんどいない。お陰で、大荒れの波打ち際の向こうに聳える富士の端正な姿を、いつもとは違って人影を全く気にせずに何とか作画することが出来た。

年が明けて、成人の日の連休中に今度は東京湾フェリーに乗った。船に乗るのは2003年の利尻・礼文島のとき以来だったろうか。冬の海はうねりがあって船は前後左右にやや揺れたが、浜金谷までの40分間はずっと甲板に出て、煌めく洋上の写真を撮っていた。
下船後は、ロープウェーで鋸山山頂へ。標高は330m足らずだが、眼下には東京湾(正確には浦賀水道)が広がり、その向こうには箱根の山並みの背後に富士山がうっすらと見える(空気が澄んでいればもっとはっきりと望めるはずだ)。だがここで夕暮を待つほどの眺めというわけでもなく、山腹の千五百羅漢の崩れかけた石像に暫し足を止めながらも足早に歩いて、陽が傾く前に港の手前の小さな浜まで戻った。漂着したゴミが溜まっている、お世辞にもきれいとは言えない砂浜だったが、海面の上にほのかに富士のシルエットが見える。ここで日没まで粘ることにした。
赤く染まる空と海。厳かでかつ速やかな日没。上空には四日目の月。すると、茜色の空を背景にまるで戯れるようにトンビの群が飛び交い、その神々しい姿を思わずレンズで追った。そして絶妙なる富士の佇まい。帰りのフェリーでは疲れで暫し寝入ってしまった。

こういった次第で、夕暮れの海、そして富士山に憑かれてしまった。もちろんこれは、今に始まったことでもないのだが。さて次はどこへ行こう。どこへ行っても、そこから見る方向はきっと同じだというのに。





 
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by junitchy | 2011-01-11 21:17 | 冗語縷々 | Comments(0)