<   2010年 02月 ( 1 )   > この月の画像一覧

2010年 02月 11日
友愛、共同体…
友愛、或いは、共同体…

およそ、国家という体制というようなものの外側で言われて来たような、あるいはその外側に、その彼岸にあるものとして言われてきたかのような概念。

それはおよそ「反体制」側のスローガンのようなもの、既存の体制にとっては「他のもの」もしくは「非-体制」的なものであり、文学者が夢見る一種のユートピアのようなものであり、そして恐らくはそのようなものとしてのみ(つまり、あり得ないこととしてしかあり得ないものとしてのみ)現出することが出来たであろうようなものであったはずのもの、なのだったが。

さて、それらの概念が、ひとたび「体制」の側から、もっとありていにいえば「政権」の側から、ほとんど無邪気と言えるような或る種の軽薄さとともに言われた時、果たしてどんなことが起こるのか?

私がたとえば今、現に感じていると言えるのは、そのような事態に際して覚えることになったのであろうような奇妙な感覚である、ということなのかも知れない。

ほとんど無邪気に、だ。それが一国の宰相が口にするということ自体が。
多分それは、或る世代に共通して持たれているのかも知れないような国家観なのだろう。そしてその世代が、そのような思想を持ち続けたままで体制側に付いたとして、そうして目指すのは果たして本当に、かの「ユートピア」なのだろうか?

或る種の軽薄さ、だ。彼らが単に古い体制を(彼らの意に反して、なのかも知れないが)また別の体制に変えるだけになってしまうことになることが分かっているのだとすれば。それが、彼らが無邪気にもやろうとしていたのかも知れないことに対する裏切りであるのにもかかわらず。

友愛、或いは、共同体。これらのことは、文学者に任せておくべきなのだ。それが現出することなく現出し、存続し得ないものとしてしか存続しないのであってみれば。たとえば1968年のパリにおいてのように。または、マルグリット・デュラスの≪Detruire≫、この「破壊する」という動詞の不定形のように。
[PR]

by junitchy | 2010-02-11 04:11 | Faits-Divers | Comments(2)