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2007年 12月 31日
夢語り、昔語り
光いでん あかつきちかく なりにけり 今ぞ見し世の 夢語りする
(光が出ようとしている。暁が近くなってきたのだなあ。
 今こそ、かつて見た夢のことをお話ししよう)


これは実在の人物による和歌ではなく、『源氏物語』「若菜上」巻で、明石の入道が娘の明石の君(または明石の女御)へと宛てた手紙の中の歌。光源氏と明石の君との間に生まれた明石の姫君(明石入道からすると孫娘にあたる)が、春宮(=皇太子)に入内して男宮を出産したとき、明石入道がかつて明石の君が生まれる頃に見た夢について語り出す場面である。

ちなみにその夢の内容とは『自分は須弥山を右手に捧げ持っていた。その山の左右から、月の光と日の光とが明るくさし出して世の中を照らす。自分自身は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。山を広い海の上に浮かべ置いて、小さい舟に乗って、西の方角を指して漕いで行く』(渋谷栄一氏「源氏物語の世界」の現代語訳より引用)というもの。これを神のお告げと信じて明石入道は長く願を掛けてきたのだったが、孫娘が第一皇子を生むに至ってそれが叶ったと感じ、この手紙を最後に山深くへと入山してしまう。明石入道にとっては栄光の時であったろう。私がこの部分を読んだとき(実は最近私は現代語訳でではあるが『源氏物語』を通読しているのである)、作者紫式部の壮大とも言える物語構想に素直に感銘を受けた。

そしてそのとき同時に、私は或る全く別の和歌を思い起こしていたのだった。それは光厳院の歌である:


  いかなりける時にかよませ給うける
                     法皇御製
見し人は 面影ちかき 同じ世に 昔語りの 夢ぞはかなき
(新千載和歌集、巻第十五、戀歌五)


解題的なことを若干。『風雅和歌集』に続く勅撰集『新千載和歌集』の完成は1359年。光厳院はこのとき既に出家していたので「法皇御製」との表記になっている。「戀歌五」での配列を見ると「面影」の歌の繋がりのなかに配置されている。この歌は『光厳院御製集』には収められておらず、晩年の作であろうか。ちなみに『新千載集』より二つ後の勅撰集である『新後拾遺和歌集』(1384年完成)にも重複して採られていて、そちらでは巻第十七・雑歌下に収められ、「題しらず」の詞書が掛かり、「夢」の歌の繋がりの中に配置されている。

この歌を初めて目にした時からとても気になっていたものの、どのように解釈したらよいだろうとしばらく悩んでいたので、明石入道の歌にある「見し世の夢語り」という言葉を見たときにこの歌の「昔語りの夢」がおのずと連想されたのであろう。いわば私のなかで繋がったのだった。勿論、内容的に通じる部分があるというのではないし、却って正反対のイメージを受ける。すなわち一方は曙光であり、これから訪れる吉兆の夢物語であるが、他方は面影、過ぎ去った昔の夢語りの虚しさ、無常である。

ここで更に連想を続けてみたい。この歌の「同じ世」という語句は、『建礼門院右京大夫集』から『風雅和歌集』(他ならぬ光厳院の撰である)に採られた一首「おなじ世となほ思ふこそかなしけれ あるがあるにもあらぬこの世に(あなたとわたくしとが同じ世にいるのだと思ってみても悲しいばかりです。こうして離ればなれとなり、生きていることが生きていることにならないようなこの世の中にあっては)」を思い起こさせる。これは建礼門院右京大夫が都落ちした恋人・平資盛へ宛ててわずかな伝手を頼って送った手紙の中での歌である。
また「面影ちかき」という語句からも、同じ『右京大夫集』から恋人の訃報に際しての詠、「ためしなきかかる別れになほとまる おもかげばかり身に添ふぞ憂き(前例のないようなこの別れ[=恋人との死別]に遭ってもなお、あの方の面影だけが今でも我が身に寄り添っているのが辛いのです)」が思い出される。
もちろん、光厳院がこの歌を詠むに際してこうした歌を参考にしたということを言いたいのではない(ただし『右京大夫集』からは『玉葉和歌集』には十首、『風雅和歌集』には六首が採られており、光厳院は『右京大夫集』の内容を熟知していただろうが)。

これらをふまえて、やや強引に解釈してみよう。「見し人」とはかつて見知った人、恋人の謂であろうか。右京大夫の歌を視野に入れつつ「死別した恋人」と言えるかもしれない。とすると、この昔の人と自分とはかつては「同じ世」にいたが今は違う。昔の人は、今では面影として自分に残っているだけだ。だから「同じ世」といっても昔の人と自分とがかつて共有していた時の「同じ世」であり、今となっては異なる世、自分のほうだけが以前と変わらず同じである世、つまり「自分のこの世での生」の謂ということになるであろう。亡き人の面影が近くに留まっていると感じられる私の人生において見る「昔語りの夢」とは、昔のことを語り出す夢、昔の人との思い出をありありと見せてくれる夢だろう。そしてそんな夢も結局ははかなく、虚しいものなのである。

意訳(というか、文法的・語釈的に誤りであったとしても、こういう風に読んでみたい):かつて見知ったあの人は、その面影は身近に残ってはいるのだが、私が現世で見る昔語りの虚しい夢とばかりに、はかなくも消え去ってしまった。

かなり強引に解釈してしまった感があるが、まあ今のところは取りあえず、これで良しとしておこう。
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by junitchy | 2007-12-31 19:37 | 和歌逍遥 | Comments(0)