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2005年 12月 31日
京極派
学生の頃に中世和歌(京極派)と連歌に興味を持ち、日本文学専攻でもないのに国歌大観やら群書類従やらの資料を漁り、私家集や歌合などをコピーしたり手書きで写したりしていたことがあった。『風雅和歌集』(三弥井書房刊、中世の文学)は古本で入手。『玉葉和歌集』は岩波文庫に入っていたがいわゆる品切れで、その当時は入手しなかった(なお、先週、久し振りに歩いた神田古本街にて売られていたのであっさり購入してしまったが)。

自分が好む歌を先ず三十首ほどを選び出し、それを並べて書き出したりもした。最終的には四十五首を選び、配列を決め、当時のワープロで打ち出したりしていた。この極くささやかな私撰に、自分なりにとても満足していたのだった。

その時の四十五首を、先週見返す機会があった。改めて読み返し、その魅力を再認する。

例えば:

   秋の御歌に             永福門院
ま荻ちる 庭の秋風 身にしみて 夕日のかげぞ かべに消え行く
              (『風雅和歌集』巻第五、秋歌上)

私は特に、四、五句に、この上なく惹かれる。沈む前の秋の夕日は部屋の奥まで差し込んで来ていたのだが、最後まで残っていたその日差しが、壁の上で、ふと、消え入る。その瞬間。消え行くものの見せる、その何とも言い得ぬ美しさ。秋風に柔らかく揺れて風の吹くのを目に映してくれるはずの庭の荻も散ってしまい、冷たい風そのものが肌身に直に感じられるようになった晩秋の夕刻、ふとした瞬間の出来事、そのほんの僅かな動きのひとときに、じっと見入る視線がある。
京極派の歌人は自然観照に優れていると言われる。対象をじっと見据える視線の強さ。そこから生まれる歌は、単に写実的というに留まらず、動的・視覚的・映像喚起的である。和歌作法上の虚構、たとえば涙に濡れる袖等々への仮託や、証歌によって裏打ちされるばかりの事象を詠むということは不要なのだ。ここが、その後の和歌の典型となった二条派の歌風との決定的な相違点であろう。この点に、現代の感覚にまで通じる京極派の魅力があるのだと言いたい。もちろん、これは一つの"紋切り型"でしかないし、少なくとも私が学生時代に受容し理解した限りでの京極派和歌、でしかないのだが。
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by junitchy | 2005-12-31 12:34 | 和歌逍遥 | Comments(7)
2005年 12月 31日
無為
何もすることが出来ない、とは一つのレトリックに過ぎないし、いやもっと有り得るのはそれは一つの言い訳であり自己弁明に過ぎない、ということだろう。私には持て余す時間があるのに、何もすることが出来ない。持て余す時間があるのに、何かを成し遂げる為の時間がない、或いは、時間が足りない。余暇の時間というものが必然的に持つのであろう逆説だ。これだけの時間が有るのに、なぜ時間が足りないのか。

ところで、何もしないでいることが出来ない、と嘆いていたのは『固定観念』のT氏だった。
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by junitchy | 2005-12-31 09:24 | 冗語縷々 | Comments(0)
2005年 12月 24日
御所跡
南アルプス南部(塩見岳や赤石岳)の登山用地図に「宗良親王御所跡」という地点が記載されているのに以前から気を留めていた。所在地は長野県下伊那郡大鹿村で、三伏峠・小河内岳の麓あたりに位置しており、標高は1000mを越える。登山道がその地点を通るわけではないのだが、林道は通じているようで、車で現地に入ることは出来るだろう。かなり山深い場所であり、このような場所に御所があったのだろうかと思うほどだ。

宗良親王については、名前をどこかで(おそらく日本史で)聞いたことがあるような…程度のうる覚えだった。ちょっとしたきっかけで先ほど調べてみたところ、準勅撰『新葉和歌集』の選者であり、私家集『李花集』がある。慌てて「千人万首」にて検索すると、おそらくこの御所にあって詠まれたと思われる歌が載っていた。通釈もあわせて引用すると:

 かたしきの とふのすがごも 冴えわびて 霜こそむすべ 夢はむすばず
 【通釈】編み目の粗い菅蓆を片敷きして寝るが、あまりに寒くて眠れず、霜が結ぶばかりで夢を見ることは叶わない。

山深い庵で寒さに凍える夜。南北朝の動乱に翻弄された詠者(宗良親王は後醍醐天皇の皇子である)の流転の身上があまりにも直線的に歌われているのに思わずたじろいでしまう。先月の南アルプス山行時に、稜線上の避難小屋の中で寝袋に包まりながらも寒さに何度も目が覚めてしまったのを思い出す。あのような寒さのなかで、惨めさ、侘しさ、そして嘆きはいかばかりであったろう。

もう一首:

 われを世に ありやととはば 信濃なる いなとこたへよ 嶺の松風
 【通釈】もし誰かが私のことをまだ生きているのかと尋ねたら、信濃の伊那という所で……否々、もはやこの世を去ったと答えてくれ、峰の松風よ。

「いな」は「伊那」と「否」とが掛けられているという。寂寥感、無常感はこの上なく、身をつまされる思いがする。中世和歌ということでは京極派のものを好んで読んでいたが、その京極派の光厳院と同時代・同世代であり、かたや北朝、かたや南朝にあってそれぞれ時代に翻弄されつつそれぞれの作法で歌を詠じていたのだろうと思われると、宗良親王と光厳院を読み比べてみたい気になる。御所跡という或る場所の追慕に端を発して、私は再び中世和歌へと惹き付けられるのである。
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by junitchy | 2005-12-24 05:38 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2005年 12月 06日
線路肩
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晩秋。
CONTAX G2, Planar 2/45, Kodak EPR64.
2001.
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by junitchy | 2005-12-06 06:23 | 写真折節 | Comments(0)
2005年 12月 04日
夫木和歌集
先週末に実家へ行き、15年前に購入したが実家に置いたままだった古本を持ち帰った。『夫木和歌集』昭和13年刊行の二巻本。かなり年季の入った古書で、紙は赤茶け、背はテープで補強してある。そういえば私自身、購入してからあまり頁を開いた記憶がない。それで、今の自分の住まいにも持って来ないままにしてしまったのだろう。

実家からの帰りの電車のなかで、さっそく繙いた。和歌集をこうして読むのも久し振りだ。ぱらぱらとめくりながら目に留まった首を拾い読みする。

成立は鎌倉後期であり、京極派に近い人物による私撰とあって、『玉葉和歌集』『風雅和歌集』などと共通するような(こういう言い方は語弊があるかもしれないが)「映像喚起的」な歌も少なからず採録されている。また、詠まれている事象によってかなり細かく分類されており、和歌類題集の体裁だ。

ちょうど今の時節(晩秋〜初冬)の題材の部分を読む。
巻第十六、冬部一、題「落葉」の中にあった定家の一首を:

 木はたちぬ 草葉はかれぬ 何をかは 山にも野にも 人の眺めむ

「建久三年左大将家にて」と欄外注にあるので調べてみると、詠まれたのは西暦1192年。一句目の「木はたちぬ」の「た」の部分に「く歟」(=「く」ではないか?)との古注あり。確かに「木はく(朽)ちぬ」、のほうがしっくりするかもしれない。両方の意を汲んで、木は朽ち果てて立ち、ということでどうだろう。

  木は朽ち果てて立ち、草葉はもう枯れてしまった。
  では一体何を、落葉した山や野にあっては、人は眺めるというのだろう。

何もない。見渡せば花も紅葉も無かりけり。色鮮やかな紅葉が終わり雪の降り出す前の、枯れた野山の寂寥としたその様を前にして覚えるのはうら悲しさであり嘆きであるはずだ。貴族文化の凋落をまさに迎えんとする「時代」というものの暗澹さ、というものが中世詩歌における寂寥感の根底にあると私は思っているので、この寂寥とした様が、こう言って良ければ積極的な「美しさ」として受け取られるようになるのはおそらくもっと後代になってから、つまり詫び寂びとして言わば「再定義」されることよってであるのだろう。私にとっての中世詩歌の魅力の一つは、この寂寥感(美的感覚として整備されてしまう前の、あるいは美的意識の源泉としての)なのだと改めて認識するのである。
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by junitchy | 2005-12-04 20:56 | 和歌逍遥 | Comments(2)