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2005年 09月 30日
ブランショ
長らく待っていた『ブランショ小説選』(書肆心水)がいよいよ刊行される。

書肆心水のページ

『謎の男トマ』"Thomas l'Obscur"は翻訳と原書を並べて読もうとしたことがある。原書はガリマール社のイマジネール叢書に入ったばかりで入手しやすかったのだが、邦訳本は当時は入手困難のため図書館で借りるしかなく、返却期間がすぐに来てしまうので結局読めずじまい。古本でも全く見掛けなく、ほとんど諦めていたのだが、今回、全面改訳にて新版刊行は何とも有り難い限りである。

書肆心水からは、デリダによるブランショ論"Parages"の翻訳も刊行予定とのこと。これも原書は購入しているが部分的に見ただけで全く読めていない。さすがに今、原書と格闘するだけの体力も時間もない。もちろん、翻訳が出た後ですら、それをちゃんと読めるというわけではないだろうが。いやはや…。
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by junitchy | 2005-09-30 00:19 | 繙読翻書 | Comments(0)
2005年 09月 28日
洋上
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2003年9月5日朝。連絡フェリー船上より望む。
CONTAX G2 + Biogon 2,8/21mm。

*

撮影後二年後にしてやっとスキャン作業を行う。

写真というものには、現に有るものそのままを写し取る、といったような或る種素朴な幻想みたいなものがある。だが実際には写真が提示するイマージュの現前は、反対に、被写体の不在を前提にする。不在であるものの再現前。それは亡霊のようなもの。

この写真画像を見て、私は二年前のことを思い出す。そして、だが、逆に、この写真を改めて見ることによって、他のもっと多くの何かを忘却しているのかもしれない。
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by junitchy | 2005-09-28 01:01 | 写真折節 | Comments(0)
2005年 09月 28日
風景画
モローの風景画の完璧さを称賛したあとで、ヴァレリーはこう続ける:

[…]だが、たちまちのうちに、それまで一手段でしかなかった自然模写が、芸術の目的そのものになる。《真理》がドグマになる。それから、《印象》がドグマになる。[…] 
(松田浩則訳・平凡社ライブラリー『ヴァレリー・セレクション・下』)


そうなると、この直ぐ先には、写真芸術というものが待ち構えていたということになるだろう。
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by junitchy | 2005-09-28 00:27 | 冗語縷々 | Comments(0)
2005年 09月 25日
繙読
最初の書き込みで引き合いに出してしまった手前、そうしないわけには行かないであろうという一種の強迫観念によって、実に久し振りに、現在刊行が途中で止まっている筑摩書房『マラルメ全集』の第2巻『ディヴァガシオン 他』を、書棚より取り出す。1989(平成元)年8月7日、と鉛筆にて購入日が書き入れてある。当時は、ドビュッシーの音楽に傾倒し、そこから絵画はルドンへ、文学はマラルメ、ヴァレリーへと興味の対象がどんどんと拡がっていたのだった。なお1989年は私はまだ大学入学前の浪人生で、よくこんなものを買ったものだと今更ながら呆れてしまう。

もちろん、買った当初からすぐにちゃんと読めたわけではない。何より、一旦所有してしまうと、ひとまずは所有欲が満たされてしまう。本の中身よりも、その体裁、手触り、紙質といった本そのものに愛着が沸いてしまう。読まずとも、字面を追いページをめくっていくだけで満足してしまう。これは私にはよくあることなのだが。『マラルメ全集』に対しては、特にこうした思い入れが強かった。
他の文献で取り上げられているところなど部分的には精読したが、全体にわたっては今もって読み込んではいない。大学入学後にはむしろ哲学に興味が移っていたこともあり、結局『マラルメ全集第2巻』は私の本棚の一番目立つ位置に、常に目に留まる定位置に置かれたまま、繙かれることもなく、惰眠を貪っていたのだ。

さっきから、改めて、ページの最初から読み直してみる。ボードレールの散文詩のような「逸話、或いは詩編」は当時は苦手だったが、案外すんなりと読み進めることが出来た。ヴァレリーとともに、マラルメも、ここらできちんと再読しておこうか。
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by junitchy | 2005-09-25 23:35 | 繙読翻書 | Comments(0)
2005年 09月 24日
向日葵二輪
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夏への餞。
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by junitchy | 2005-09-24 15:50 | 写真折節 | Comments(4)
2005年 09月 24日
僥倖
貨幣が流通するがごとく(この使い古された譬えを再び取り上げるならば)の通常の言葉と同じ語を使って、散文ではなく1篇の<詩>を編み出すことの困難さ(そしてこれこそがまさに詩人というものの試練なわけだが)というものを述べつつ、ヴァレリーが決まって引き合いに出すのは音楽である。『音楽家というものは幸せです!…』

こうした、およそ文学者、特に詩人というものがひょっとすると皆等しく持っているのかも知れないような、音楽に対する、音楽という表現形式に対する、羨望ないし(こう言って良ければ)嫉妬、は、だが逆に、およそ音楽家(作曲家)が抱いているのかもしれないところの、文学に対する、言葉を使った表現形式に対する、<詩>に対する、"逆恨み"とでも言いたいようなものと、比較することが出来るだろう。

言葉へと回帰していくということ。言葉で言い表せない感動といったものですら、結局は言葉へと収斂させざるを得ないということ。これはおよそ人間というものの条件であろう。初めに言葉ありき。もし音楽が言葉と僥倖なる婚姻をすることが出来るならば、それは、両者がそれぞれ他方に向かって持つかもしれぬ不平をうまくとりなすことによってでしかあり得ない。音楽によって一篇の詩を編み出し、その詩はまさしく音楽であるのだ。結局、ヴァレリーが夢想した純粋詩とは、そういった体のものであっただろう。
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by junitchy | 2005-09-24 15:22 | 冗語縷々 | Comments(0)
2005年 09月 21日
基本
鍋にオリーブオイルをやや多めに入れる。
にんにく1〜2かけのスライスを鍋にいれ、オリーブオイルと良く馴染ませてから、弱火に掛ける。
少し経ったら、種を除いた鷹の爪を一本入れる。しばらくは様子見。
さらにもう少し経ったら、種を除いた鷹の爪をもう一本、今度は輪切りにするか手で適当にちぎって入れる。
この間に、チーズを適量削って粉チーズにする。パルミジャーノ・レジャーノより、グラナ・パダーノのほうが良い。
にんにくが色づき始めたころに、松の実を適量入れる。
タイミングを見計らって、パスタを茹でる。ペンネ、もしくは、フッジーリ。
にんにくが良い感じになったら、塩・コショウ。茹でているお湯をちょっとだけ掬っていれ、均等にする。
ゆで上がったパスタを鍋に入れ、全体にオイルを行き渡らせる。
ここで、ジェノベーゼ(バジルペースト)を適量入れ、全体によく混ぜる。
シュレッドチーズを適量入れ、混ぜ、とけ始めて糸を引くようになったら、火からおろし、器に盛る。
最後に、先ほどの粉チーズをかける。

かなりコクのあるしっかりした味のため、良く冷やした辛口の白ワインの他、ミディアムボディーの赤ワインでもいける。
ライ麦入りのドイツパンなどがあれば最高。
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by junitchy | 2005-09-21 22:51 | 味覚嗜好 | Comments(0)
2005年 09月 20日
Clouds
普段、洋楽を聞いているとき、その歌詞の内容についてはあまり意識しないことが多い。ところが、先日、朝の通勤電車の中でiPodを聴いていると、不意にJoni Mitchellの"Both Sides, Now"が流れ、そしてふとその歌詞が耳にすんなりと入ってくる。今まで何度となく聴いたことがあるし、聴きながら歌詞カードを読んだことももちろんあるのに、この時のように自然に、音楽に乗って、<言葉>が、その言わんとするところを届けて来たことはなかった。
それはこんな感じだった:

  天使の髪、アイスクリームの城、羽のキャニオン、かつては、雲を、そんなふうに眺めていた
  でも今となっては、雲は、ただ日差しを遮るものでしかなく、皆の上に雨と雪を降らせている…

その瞬間、自分でも驚いたことに、瞑っていた目に、涙が溢れそうになる。慌てて目を開け、上のほうを見て、やり過ごした。
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by junitchy | 2005-09-20 22:30 | 音楽所懐 | Comments(0)
2005年 09月 19日
Talk Talk
疑いもなく、自分が挙げることのできるフェイバリットアルバムの、少なくとも上位10枚には入るだろうと思われるのがTalk Talkの"SPIRIT OF EDEN(1988)"だ。一般的にはほとんど知られていないかもしくは忘れ去れている彼らの、EMIレーベルからの最後のアルバム。と言っても自分が持っているのはこれを含めオリジナルアルバム3枚とベスト盤およびレアトラック集のみなので、自分がそれほどコアなファンだと言うのはやや憚られる。

一年ほど前に、彼らのTOP40ヒット"It's My Life"を、彼らのファンだったというNo Doubtがカバーしたため、この懐かしい曲をたびたび耳にすることになった。だがこれによってオリジナルのTalk Talkが再び脚光を浴びるということは無かったと思う。

初期のサウンドは(It's My Lifeを含め)あまり冴えないポップでしかないが、"COLOUR OF SPRING(1986)"でかなり凝った音作りに変わった。そして"SPIRIT OF EDEN"。その後Polydorに移籍してからの唯一の発表作"LAUGHING STOCK(1991)"と合わせ、なんとも言葉では表現し得ない、秘教的とでも言いたくなるサウンド。

久々に聴くと、今でも強く引き込まれそうになる。これを最も集中的に聴いていた頃に引き戻されるような。これらの音楽とともに過してきた自分と、時を隔てて向き合うような。といっても、そんなに昔でもないのだが。ああ、自分も歳を取ったということか。
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by junitchy | 2005-09-19 15:50 | 音楽所懐 | Comments(4)
2005年 09月 18日
Divagations..
ディヴァガシオン。冗語、とりとめもないことを言うこと。

ちなみにこれは詩人ステファヌ・マラルメが自らの散文集に付けたタイトルだった。
それをここで自分のために使うこと、まさにマラルメが使った言葉だということを付け加えながら使うこと、に特段の意味があるわけではない。
いずれにせよこれは、つまりこの文章からして、さっきからとりとめもないことばかりを述べている。つまり:何も述べようとしていないということしか述べていないような文章。それがここでのテーマとなろう。そしてそのテーマは、自分が文章を書く際に常に考えてしまう、自分にとって親しいと言えるようなテーマだ。恐らく、学生時代からの。

そして、はたまた、既に忘れてしまった、過去の。

それを再び始めることが出来るのか? 再開=(おそらく何らかのイニシャルにて呼ばれていたことになろう人物との)再会? いやはや...
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by junitchy | 2005-09-18 20:53 | 冗語縷々 | Comments(0)