カテゴリ:音楽所懐( 10 )

2013年 08月 28日
Voyage of the trieste..
(2013/02/22〜)


数年前(もう10年近くなるだろうか)、1960年代の洋楽(とりわけサイケデリック系)のCDを買いあさり、気に入った曲でプレイリストを作って聴いていた。

iPodで今でもたまに聴いているのだが、半世紀も前に作られて今ではほとんど忘れ去られたかのような、さりとて魅力の失せることのないあれらの楽曲を作った人々は、もしかすると既に亡くなってしまったか、存命でもかなりの高齢に達していることだろう。

何というか、当たり前のことなのだが、そのことが身に沁みて感じられる。

大量生産・大量消費社会にあって、大量の複製(レコード盤)によって売り出されることになった最初の世代の、あれらの無数のアーティストたち、そのほんの一握りだけが名を残し、後は忘れ去られていく。大量生産されて流通した音源だけが、否が応にも、過剰に存続するのに対して、それを作った者たちは不当なまでの忘却に晒されて。

当時の録音技術のこと差し引いて考えても、その音はまったく色褪せていない。これは単なる感傷的な表現などではなく、昨今の打ち込み系のペラペラした音に比べて遥かに厚みがあり、ハードディスクレコーディングで何らの劣化もなしに編集された音よりも、生身の音の気配が感じられる。

そもそも、楽曲そのものの質が高い。現代にまで続くポップ・ロック音楽の多くは、60年代に出尽くしていたのだと実感する。新たなテクノロジーによって可能となった音が後から増えただけだ。演奏技術も(何度も録り直して継ぎ接ぎに編集するといったことがまだ容易ではなく、自動演奏、ループ、シーケンサーなども無かった時代であり、基本的には一発録りに近いかたちで録音されていることを考えれば)今とは比べものにならない。

これらの楽曲が、繰り返すが半世紀も前に作られていることに改めて驚愕するのである。


   *


The Chocolate Watch Band。1967年のロサンゼルスで人気を博していたガレージ・バンドだ。彼らの二枚目のアルバム"The Inner Mystique"のオープニングを飾る佳曲"Voyage of the Trieste"は、ほぼ全編で魅惑的なフルートがフィーチャーされたサイケデリックな雰囲気満載のインストルメンタル曲で、私の今でもかなりのヘヴィローテーションになっているのだが、この曲では、実際のところ、バンドのメンバーは誰一人として演奏していない(というか彼らは彼らのセカンドアルバムの制作にはほとんど関わっていないらしい。この曲は"The Yo-Yo'z"という全く別のバンドによって録音されたのものだという。この後者はおそらくスタジオミュージシャンバンドの類だったのだろう)。

レコードレーベル側やプロデューサー達の勝手な意向に翻弄されて(時代の潮流に乗り、勝手にサイケデリック・バンドに仕立て上げられて)、自分たちの名義のレコードに自分たちの音源を使ってもらえず、その音源を作ったアーティストは陽の目を見ることも無い、というこの屈折した状況にあって(だがこれはコマーシャリズムの一端としてごくありふれたものだったのかも知れないが)、その楽曲そのものは、半ば忘れ去られつつも、存続し続けるのだ。

そして私はその曲に、この出自に、この上なく惹かれるのである。確かに誰かの手によって創り出されたに違いないのに、その誰かはもはや辿り得ず、誰のものでもないかのように彷徨い、時代を移ろいつつ超克し、今日に至るまで、その非存在を生き延びるのだ…。云々…。

(〜2013/8/28)
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by junitchy | 2013-08-28 21:26 | 音楽所懐 | Comments(0)
2010年 10月 02日
"Strawberry Fields Forever" - in Mono
まず、私が聴き馴染んでいたのは"1967-1970"(いわゆる「青盤」)のステレオヴァージョンと、アメリカ編集LP"Magical Mystery Tour"収録のステレオヴァージョン。余談だが、「青盤」収録のヴァージョン(追記:日本盤)では、曲の最後で一旦フェイドアウトしてから再度フェイドインするまでのタイミングが若干長いことで有名。また「Magical…」収録ヴァージョンとは同じステレオでもミックスが若干異なる。

さて今回『モノ・ボックス』で私は初めてこの曲のモノラルミックスを聴いた。

まず曲の出だしで、ステレオミックスではメロトロンのリフが左チャンネル側から聞こえ、それに続くピアノのコードは右チャンネル側にジャーンと入って、ジョンのヴォーカルがセンターに入る。これはこれで聴き慣れてしまうと違和感は感じないし、いかにもサイケデリックな印象すら与えるものだが、ひとたびモノラルミックスで聴いてしまうと、もうだめだ。

モノラルミックスでは、当然ながら、メロトロンとピアノとヴォーカルは不自然に分離してしまわずに、一つの音場の奥行き感の中にあって滑らかに繋がっており、ごく自然に曲が始まる。何故ステレオでわざわざ左右に振ったのだろうかと訝しく思えてしまう。
また、曲の途中(実際には全くの別テイクを編集で繋げているのだが)から入るストリングスやホーンは右チャンネルに入り、リンゴによるかなりエキサイティングなドラムの左チャンネルと完全に分かれてしまうのだが、モノラル版ではこの両者の音響はうまく融合されている。

つまり、各パートのサウンドがバランス良く(このことはモノラルミックスではとても重要だ)まとめられていて、総体として曲の一体感が違うのである。ステレオミックスの音響的作為はかえって曲の印象をぼかしてしまい、せっかくの素晴らしいこの楽曲を単に「サイケデリックな雰囲気」という受容にのみ貶めてしまっているかのようだ。"Strawberry Fields Forever"に関しては、一つのサウンドプロダクションとしてモノラルミックスの方が完成度が高い、というのが私の感じ方だ。

さらにいうと、本国イギリスでは1973年に「青盤」においてステレオヴァージョンが登場するまではシングル盤のモノラルヴァージョンが「現行版」であったわけである(このことは他のシングル盤にも当てはまることが多いようだ)。アメリカ編集LPにはステレオで事後的に収録はされていたが、やはりプライオリティは1967年1月発売のシングル盤にあるだろう。

ここで私は「正統」という言い方をしてみたくなるのだが、この曲に関して言うとそれは、その出自からして、またその音像からして、紛れもなくオリジナルシングル盤で最初に発表されたモノラルミックスヴァージョンなのだ、という気がするのである。
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by junitchy | 2010-10-02 14:01 | 音楽所懐 | Comments(0)
2010年 09月 23日
モノ・ステレオ
ビートルズの最新リマスター盤が発売されて、個々のステレオ盤とモノ・ボックスを一気に入手してから一年が経った。

この間、アルバム単位で聴くばかりではなく、いくつかプレイリストを作成して(例えばモノラルバージョンのみで全曲とか、ステレオバージョンのみで全曲、オリジナルシングル発売順にA面B面曲、ステレオ・モノラルを一緒にして曲名アルファベット順で、等々)それをさらにまたシャッフルしてみたり、思いつくままに飛ばし聞きしてみたり…と、様々に聴いてきたわけだが、そうしてくると、このアルバムはモノラル、この曲はステレオ、というふうに自分なりの好みがはっきりして来る。

ここでは、そんな自分なりの回答というか結論というか、そんなことを書いてみたいと思う。

敢えて言うまでもないことを最初に、付け足りとして書くとすると、これはあくまでも私個人の感じ方ということなので、一般的な捉え方とは相入れないものであるかも知れない。このことを一つのエクスキューズとして、もしくは何らかの口実として、私はこの文章を書き始めてしまったのである。

手始めに、ざっと大枠での(アルバム単位での)見通しを付けておこう。

Please Please Me (1963)
With The Beatles (1963)
は、やはりモノラル。音の迫力が違う。ステレオ版は元々モノラルミックスを作るための2トラック(演奏と歌)を、ほとんどそのまま左右チャンネルに分けて強引にステレオにしている曲が大部分であり、聞きづらい箇所も多い。

A Hard Day's Night (1964)
は、ステレオが良い。1987年版CDを何故モノラルで出すことにしたのかと逆に訝しく思ってしまう。リミッターでギリギリまで詰め込まれた派手なギターサウンドが心地よい。

Beatles For Sale (1964)
は、モノラルも良いが私はステレオが好きだ。1964年発表のこれら2枚は、今回のリマスター発売の恩恵を最も受けていると思う。

Help! (1965)
はステレオ。モノラルは音質があまり良くない。1965年オリジナルステレオミックスと、1987年CD化の際のステレオリミックスとを比べると、気持ち的にはオリジナルの65年版だが、87年版は左右のステレオ定位の調整だけではなく音質も改善されており、聴きやすさでは捨て難い。

Rubber Soul (1965)
は曲によって違うが、全体ではモノラルに軍配。ステレオではこれも65年版と87年版とがあるが、定位がセンター寄りに調整されている87年版よりもむしろ、左右チャンネルが完全に分離しているオリジナル65年版のほうが正統(正当?)だという気がする。

Revolver (1966)
個人的にはステレオが良い。

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967)
これは悩ましいが、やはりモノラルは聴きやすい。

Magical Mystery Tour (1967)
モノラル。曲によってはステレオ。

The Beatles (1968)
好みがはっきり分かれるだろうが私はステレオ。

なお、Yellow Submarine(1969)収録曲のオリジナルモノラルミックスが今回モノボックスのMono Mastersにて初めて発表されたが、これらの曲はモノラルが良い。


まあこれらは飽くまでも現時点での評価であり、今後さらに聴き込んでいくと考えが変わるものもあるだろう。
個々の曲についてはまた改めて、少しずつ取り上げてみたいと思う。






 
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by junitchy | 2010-09-23 21:34 | 音楽所懐 | Comments(0)
2010年 05月 25日
伊吾国流沙

ハミこくりゅうしゃ…。何の謂いか。さながら異国を旅し、決して当てどもなくというわけではなかったにせよ、途方もない彼方を目指すその旅路はまさしく流浪、流離(さすらい)と呼ぶに相応しかったのであろうような。


揺蕩(たゆたい)、移ろい。


そして諦念、いやはや達観。


多分、あの増和音の響きがそう感じさせてくれるのであろう。それは肯(がえん)ずる響きであり、包容し、受容し、そして歓待する響きである。


曲の最後、低音のみで奏でられる長く残る和音は、その安らぎを見い出したかのようだ。留まるべき場所はきっとないのだと分かった上での、安息。





(付記)
「伊吾国流沙」… ピアニスト西山葵耀古さんの自作曲。CD『明けぬけば』に収録。
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by junitchy | 2010-05-25 18:37 | 音楽所懐 | Comments(0)
2009年 10月 11日
09・09・09
ビートルズ・ファンの端くれであることを自認している身としては、やはり今回のリマスター再発盤は当初から気になっていた。さてどうしようか、『モノボックス』だけでも買おうかとか何となく考えていたのは8月頃だったが、9月に入って否が応にも盛り上がってくる雰囲気に流されるかのごとく、結局は発売前にネットショップで予約し、世界同時発売日2009年9月9日の数日後には全CDを入手していたのだった(私が購入したのは『モノボックス』およびステレオ盤全14作品をバラで、いずれも輸入盤)。

考えてみると、レコード・CDを含めてこうして公式盤で全作品を揃えるのは初めてのことだ。そもそも自分がビートルズにハマったのは、1981年頃に誰だったかにもらった「1962-1966」(いわゆる「赤盤」)のカセットテープだった。そして正月のお年玉で「1967-1970」(「青盤」)のカセットを買った。さらに、1982年にNHK-FMで放送されたビートルズデビュー20周年記念の全曲放送番組を当時の安いラジカセでせっせとカセットテープに録音した。それこそ何度となく聴いていたので彼らの曲は全て熟知していたし(何曲かはギターで耳コピーが出来るくらいに)、敢えてレコードで買い直す必要もなかったのだ(まあ実際には国内盤LPを何枚かは買ったが)。

1984年に各国編集盤LPが一斉に廃盤になってUKオリジナルLPに統一されることになったときも買い急ぐことは無かったし、1986年からCDとして順次発売されても、1987年にTechnicsのCDプレーヤーを購入してもらってから"Sgt. Pepper"を買ったくらい。あとは順次少しずつ欲しいと思ったCDを買っていった程度で、特に全作品を買い直そうとは思わなかった。1990年代になって発売された "Live At The BBC" や "Anthology" も欲しいと思わなかった。2002年頃にブートレグ盤のアメリカ編集アルバム紙ジャケットシリーズ(非常に良く出来た複製だった)を何枚か買ったりしていたが、その後、本家キャピトルが同じ嗜好のボックスセットを発売しても、やはり買わなかった。他に、公式CDでは聴けないLP音源の盤起こしブートCDも何枚か買ったが、やはり全作品は揃わなかった。

だが多分、自分も歳を取ったのだろう。今この機会を(つまり、初回限定盤と謳われたモノボックスも含めて、公式音源を最新リマスターで一気に揃えることが出来るこの機会を)逃してしまうと、いつまで経っても自分はビートルズのアルバムを全て入手することはないだろう、と。そのように考えたのだった。そしてこの判断は正しかったと思う。

購入後はまず、モノボックスのアルバムを全部聴いた。オリジナルモノラルミックスでは初めて聴く曲も多く、いろいろと発見もあった。人口に膾炙していると言えるような曲、例えば "Hey Jude" とそのB面 "Revolution" のオリジナルシングル盤のモノラルミックスなどはステレオミックスよりもはるかに迫力がある。一部には「ビートルズはモノラルで聴くのが正当」というモノラル信奉があるが、私の聴いた感じでは、アルバムによって、また曲によって、モノラルが良いもの・ステレオが良いものがあり、どちらか一方には決められない。ただやはり思うのは、モノラル音源も限定盤ではなく通常に入手出来るようにすべきだったということ。一部の人にしか入手出来ないというのは、なんとももったいないことだ。

音と並んでもう一点、モノとステレオとで違うものがある。それはジャケットだ。「モノボックス」では当時のオリジナルLPジャケットを忠実に再現した紙ジャケットとなっているのだが、ステレオ盤のジャケットの写真とは色味がかなり異なる。まずベース色がかなり暖色系で、色味も落ち着いている。1960年代当時のアルバムジャケットは、プレス回数によってかなり色味が異なっていたらしく、どれが本当の色なのかは俄には定めがたいが、今回の紙ジャケットは少なくとも当時の趣をうまく再現しているのではないかという気がして(もちろん私は実物のオリジナルLPを持っていないので断定は出来ないが)自分としては好みだ。反対にステレオ盤では、音と同じようにジャケット写真もクリアに補正しているようだ。

試しに比べて見えるように撮影してみた。上になっているほうがモノラル盤紙ジャケット。

"With The Beatles"
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"Beatles For Sale"
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中学生の頃は、カセットテープで彼らの曲を聴きながら、自分の好きな曲ばかりを集めて編集したテープを作りたいと常々思っていたものだ。古いラジカセ録音のテープでは音が悪く、ダビングもままならなかったから、LPで全部揃えたらいつかは…と。今回、全CDをさっそくMacに(Appleロスレス形式で)取り込んだ。iPhoneにも入れて聴きまくっているので、モノラルヴァージョン・ステレオヴァージョンの違いまで含めて選定した「マイ・ベスト」を作ってみたいと思っている。
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by junitchy | 2009-10-11 23:28 | 音楽所懐 | Comments(2)
2008年 02月 18日
Symphonies
Antonio Bacchelliの『ストラヴィンスキー:ピアノ作品全集』では2枚組CDのラストに収められている「A la memoire de C.A.Debussy (ドビュッシーの思い出に)」は、1920年の『ルヴュ・ミュジカル』誌ドビュッシー追悼号に掲載された小品。そしてこれは、ドビュッシーに捧げられた「Symphonies d'instruments a vent (管楽器のためのシンフォニー集)」の末尾部分に当たる。

おそらくオーケストレーションされる前の原型としてのピアノ譜なのだろうと思われるが、オーケストラ版に比べてこのピアノのための『ドビュッシーの思い出に』はストラヴィンスキーが掴み取ったインスピレーションを純粋に、マラルメの詩の一節を引用して言うなら「その裸形において」伝えてくれているようにすら感じられる。伝統的な和声からすれば「不協和音」なのだが、それらはまさに不協和であることにおいてこの上なく美しく、互いに響き合っている。悲痛であり甘美でもある、ピアノによる静謐なコラール。聴き終えた後、暫しの沈思…。

  *

付記。Bosey & Hawksから現在出版されている楽譜にて確認したところ、雑誌初出時には"Le Tombeau de Claude Debussy(クロードドビュッシーの墓)"と題されていたとのこと。現在出版されている楽譜のタイトルは "FRAGMENT de symphonies pour instruments a vent(管楽器のためのシンフォニー集からの断章)"となっており、Stravinskyによるピアノ編曲版とクレジットされている。
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by junitchy | 2008-02-18 00:12 | 音楽所懐 | Comments(0)
2008年 02月 03日
先週買ったCDなど
先週、久々に立寄った中古CDショップにてCD3枚購入。

Olli Mustonen『プロコフィエフ:束の間の幻影、ヒンデミット:ルードゥス・トナリス』、Antonio Bacchelli『ストラヴィンスキー:ピアノ作品全集』2枚組、そしてFazil Sayのピアノによる『ストラヴィンスキー:春の祭典』。

今までプロコフィエフ(とかラフマニノフとか)は何となく聴かず嫌いのところがあったのだが、今回は『束の間の幻影』という曲名に惹かれて購入。早速聴いてみるとこの小品集は大変魅惑的だ。これは若い頃の作曲のようだが、これ以外のも聴いて見たくなった。ヒンデミットも、ちゃんと聴くのは多分初めてで、『ルードゥス・トナリス(1942)』もざっと聴いただけだがなかなか面白い。ストラヴィンスキーのピアノ曲というのも全く知らなかったので興味があって買ったのだが、まだ聴いていない。

で、問題のFazil Say。多重録音によって連弾版『春の祭典』を一人で演奏している。2000年の発売時にはかなり話題になっていたようだが、私はまったく知らなかった。内部演奏やらプリペアドやらでまあ面白いのだが、これはあくまでもピアノによってオーケストラの響きにどこまで近づけられるか、そのダイナミックをどこまで再現出来るかということにばかりに主眼を置いているような感じがして、純粋にピアノ版『春の祭典』を聴いてみたかった私としては、かえって物足りなくなってしまった。

そこでその翌日、再びCDショップへ行き、ピアノ4手版の『春の祭典』を探した。直ぐには見つからなかったのだが、廉価レーベルNAXOSコーナーにてFrith/Hill『ストラヴィンスキー:4手のための作品集』に収録されているのを発見。そしてついでと言っては何だが、同じコーナーにあったRobert Craft指揮による『3つのギリシャ・バレエ音楽集』(アポロ、アゴン、オルフェウス) と『ミサ・カンタータ・詩篇交響曲・他』もあわせて購入。突然ストラヴィンスキーばかり聴いてみたくなったのだ。それにしてもこうしたマイナーな曲を多くカタログに入れてくれているNAXOSに感謝。

帰宅してさっそく4手版『春の祭典』を聴いたが、はっきり言ってこっちのほうが断然良い。オケ版に引けを取らない。第2部の最初のあたりでは逆にピアノ版のほうが音響的にも優っているように感じる。ちなみに初めて『春の祭典』を聴いたのは高校2年の頃で、何度聴き返したことか。それ以来私自身大好きな曲だ。幾種類かの演奏を聴いていたが、もっと早くこの4手ピアノ版も聴いていれば良かったと思う。『詩篇交響曲』も大好きな曲で、以前どこかで書いたが聴きながら曲に合わせてラテン語の歌詞で歌えるほどだ(笑)。ストラヴィンスキー、ここらでもう一度ハマってみようか。
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by junitchy | 2008-02-03 00:26 | 音楽所懐 | Comments(0)
2006年 07月 11日
Journal des listes : 11/07/2006
オレール・ニコレのフルート、今井信子のヴィオラ、吉野直子のハープによる『武満徹:そしてそれが風であることを知った』(Philips,1994)を聴く。これは発売直後に購入していたものだが、そういえば全体を通してはあまり聴いていなかったかも知れない。もちろん、ドビュッシーと武満の曲は何度となく聴いていたが。やっとこれをiPodに入れ、朝の喧騒の中、聴くことにした。

07:41 - Honegger: Petite Suite pour flute, alto et harpe / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe
07:46 - Denisov: Duo for flute and viola / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola
07:50 - 武満徹: 海へ III (アルト・フルートとハープのための) - 1. 夜 / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe
07:54 - 武満徹: 海へ III (アルト・フルートとハープのための) - 2. 白鯨 / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe
07:58 - 武満徹: 海へ III (アルト・フルートとハープのための) - 3. 鱈岬 / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe

『海へ』のオリジナルは、アルトフルートとギターのために書かれたが、この『海へIII』は作曲者自身によりハープ用に編曲されたもの。だがやはりオリジナルのギターのほうが断然好きだ。いつも思うことだが、フルートとギターというこの編成は、日本の伝統楽器である尺八と琵琶への、西洋音楽の楽器からのオマージュなのだということ。漸近線、準(なぞら)え。決して到達し得ぬ境界を前にしての礼讃。云々…。

08:12 - Britten: Lachcrymae - Refrections on a song of Dowland, op48a / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola
08:19 - Debussy: Sonate pour flute, alte et harpe - 1. Pastorale / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe
08:24 - Debussy: Sonate pour flute, alte et harpe - 2. Interlude / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe
08:29 - Debussy: Sonate pour flute, alte et harpe - 3. Final / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe
08:42 - 武満徹: そして、それが風であることを知った (フルートとヴィオラ、ハープのための) / Aurele Nicolet, flute, Nobuko Imai, viola, Naoko Yoshino, harpe

ドビュッシーの晩年の『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ』と同じ編成で作曲された武満の『そして、それが風であることを知った』は、その曲自体にはもちろん、この題名にも深く感銘を受けた。一つの境地、或る到達点として。「それ」とは音楽、音、響き、であるだろう。云々。

少々早めに聴き終わってしまったので、別のアルバムより、ドビュッシーのフルート独奏曲『シランクス』を聴く。

08:45 - Debussy: Syrinx, pour flute seule / Wolfgang Schulz, flute

この『シランクス』のさながら谺(こだま)のような『エアー』は、武満徹の遺作となった。晩年の武満はドビュッシーととても深いところで、あるいはとても高いところで共鳴しあっている。

     *

帰り。ジャック・ルヴィエのピアノ、ジャンジャック・カントロフのヴァイオリン、フィリップ・ミュレのチェロによる、ラヴェルとフォレのピアノトリオを。

18:57 - Ravel: Trio pour violon, violoncelle et piano - I. Modere / Trio Rouvier-Kantarow-Muller
19:02 - Ravel: Trio pour violon, violoncelle et piano - II. Pantoum / Trio Rouvier-Kantarow-Muller
19:09 - Ravel: Trio pour violon, violoncelle et piano - III. Passacaille / Trio Rouvier-Kantarow-Muller
19:15 - Ravel: Trio pour violon, violoncelle et piano - IV. Finale, Anime / Trio Rouvier-Kantarow-Muller

19:20 - Faure: Trio op.120 pour violon, violoncelle et piano - I. Allegro / Trio Rouvier-Kantarow-Muller
19:29 - Faure: Trio op.120 pour violon, violoncelle et piano - II. Andantino / Trio Rouvier-Kantarow-Muller
19:34 - Faure: Trio op.120 pour violon, violoncelle et piano - III. Andante vivo / Trio Rouvier-Kantarow-Muller

これは本当に久し振りに聴いた気がする。ラヴェルはこれを自分の遺作にする意気込みで(戦地に赴く前に)書き上げているが、そのせいかとても緊張感があり、気高い。この後に書かれた『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』(その第一楽章はドビュッシーの死を悼んで作曲された)と双璧をなすような作品。ラヴェルは一般的には『ダフニスとクロエ』『ラ・ヴァルス』『ボレロ』といった華やかなオーケストラ作品が有名だが、個人的には、ピアノや室内楽曲のほうが素晴らしく感じる。
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by junitchy | 2006-07-11 22:53 | 音楽所懐 | Comments(0)
2005年 09月 20日
Clouds
普段、洋楽を聞いているとき、その歌詞の内容についてはあまり意識しないことが多い。ところが、先日、朝の通勤電車の中でiPodを聴いていると、不意にJoni Mitchellの"Both Sides, Now"が流れ、そしてふとその歌詞が耳にすんなりと入ってくる。今まで何度となく聴いたことがあるし、聴きながら歌詞カードを読んだことももちろんあるのに、この時のように自然に、音楽に乗って、<言葉>が、その言わんとするところを届けて来たことはなかった。
それはこんな感じだった:

  天使の髪、アイスクリームの城、羽のキャニオン、かつては、雲を、そんなふうに眺めていた
  でも今となっては、雲は、ただ日差しを遮るものでしかなく、皆の上に雨と雪を降らせている…

その瞬間、自分でも驚いたことに、瞑っていた目に、涙が溢れそうになる。慌てて目を開け、上のほうを見て、やり過ごした。
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by junitchy | 2005-09-20 22:30 | 音楽所懐 | Comments(0)
2005年 09月 19日
Talk Talk
疑いもなく、自分が挙げることのできるフェイバリットアルバムの、少なくとも上位10枚には入るだろうと思われるのがTalk Talkの"SPIRIT OF EDEN(1988)"だ。一般的にはほとんど知られていないかもしくは忘れ去れている彼らの、EMIレーベルからの最後のアルバム。と言っても自分が持っているのはこれを含めオリジナルアルバム3枚とベスト盤およびレアトラック集のみなので、自分がそれほどコアなファンだと言うのはやや憚られる。

一年ほど前に、彼らのTOP40ヒット"It's My Life"を、彼らのファンだったというNo Doubtがカバーしたため、この懐かしい曲をたびたび耳にすることになった。だがこれによってオリジナルのTalk Talkが再び脚光を浴びるということは無かったと思う。

初期のサウンドは(It's My Lifeを含め)あまり冴えないポップでしかないが、"COLOUR OF SPRING(1986)"でかなり凝った音作りに変わった。そして"SPIRIT OF EDEN"。その後Polydorに移籍してからの唯一の発表作"LAUGHING STOCK(1991)"と合わせ、なんとも言葉では表現し得ない、秘教的とでも言いたくなるサウンド。

久々に聴くと、今でも強く引き込まれそうになる。これを最も集中的に聴いていた頃に引き戻されるような。これらの音楽とともに過してきた自分と、時を隔てて向き合うような。といっても、そんなに昔でもないのだが。ああ、自分も歳を取ったということか。
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by junitchy | 2005-09-19 15:50 | 音楽所懐 | Comments(4)