カテゴリ:和歌逍遥( 25 )

2012年 06月 24日
ことの葉の花たちばな

ことの葉の花たちばな
(2010年6月〜)


「本歌取り」ーーーそれは一つの技法、つまり、かつて古典の授業で(ことによると単に暗記すべき一事項として)学んだであろうように、『新古今和歌集』の時代に大いにもてはやされた、和歌的技法である。

簡単におさらいしておくと、先行する古歌、特に『古今』『後撰』『拾遺』の三代集や『伊勢物語』『源氏物語』などに所収の歌を対象にして、その歌の句の一部をそのまま使い、元歌の持つ内容や情景を巧みに利用しつつ新たな歌に仕上げるというものだ。

そう、確かに技法には違いない。実際、それを体系化した藤原定家は、本歌取りにおける数々の「作法」を定めているし、そういった様々な決まりごとに規制されるかたちで、それ以降の詠歌は型にはまっていったとすら言われているのであるから。

だが、そういった見地から離れて、古典文学要覧のある一項目を単に占めることになったのであろうような一遍通りの知識から、それを救い出すべきなのだ。

だからこそ敢えてこう言おう、本歌取り、それはイマジネーションの連鎖の謂いであり、そこで行なわれているのは、イメージの重層化、トランスポジシヨン(転移)であり、優れて創造的な営みなのである、と。

   *

ここに一首の和歌がある。『古今和歌集』に所収の、人口に膾炙した歌であり、それこそ国語の教科書にも載るほどの、古来つとに名高いものだ。誰の作なのか伝わらないその歌は、爾来、本歌取りなどという枠を遥かに超えて、既にして一つの伝統を、そしてそれだけで既に一つの文化を、形作っているとすら言えよう。

五月(さつき)待つ
 花たちばなの香をかげば
  昔の人の袖の香ぞする

 初夏の五月を待って咲き初むる花たちばなの香りをかいでみると、
 かつて見知ったあの人が袖に焚きしめていた、あの香りがするんだ。

『古今和歌集』巻第三、夏歌、読み人知らず


この、何気なく詠まれたかのごとき一首。何故これほどまでに、この歌は後世に影響を与え続けたのだろう。

先ず、この歌は『伊勢物語』の一挿話を生んだ。「男」は、その香りによって、かつて知った女であることに気付く。そして男は、それとなくそのことを知らせるために、女にかの歌を読み掛けるのだーー「昔の人の袖の香ぞする」と。すると女は、男の許を去ってしまった我が身を恥じて、尼になってしまったという。

また、『源氏物語』の「花散里」の巻で、源氏は麗景殿女御の邸宅を訪れる。初夏の夜、二十日の月が昇って来る時分、たちばなの花の香りが仄かに漂うなか、懐かしく昔語りを交わしていると、近くでほととぎすが鳴く。源氏は自らをそのほととぎすに準(なずら)えて、『万葉集』所収の大伴旅人「橘の花散る里の霍公鳥(ほととぎす) 片恋しつつ鳴く日しぞ多き」をも踏まえつつ、

橘の香をなつかしみ
 ほととぎす
  花散る里をたづねてぞとふ

 昔を思い出せるという橘の香りに心惹かれて、
 ほととぎすは花の散ったこのお邸を訪ねて来たのです。

と詠み掛ける。
成立から100年経った時点において既に『古今和歌集』は現代の我々が享受するのとほとんど同じ意味で<古典>になっており、『源氏物語』の成立にとっても無くてはならないもの、通奏低音のように『源氏』を下から支えるものとなっていた。この初夏の宵の昔語りの場面でも、花たちばなの古歌の趣きを優美に敷衍して、豊かなニュアンスを与えている。

紫式部とともに中古三十六歌仙に数えられる女流歌人、相模の次の一首でも、懐旧の情と花たちばなの香りとは、即座に交-感(correspond)する。

さみだれの空なつかしく匂ふかな
 花たちばなに風や吹くらむ

 五月雨の空には、懐かしく感じさせる香りが漂っているよ。
 さては、花たちばなのもとに、風が吹いているのでしょうか。

 『後拾遺和歌集』巻第三、夏


そして『源氏物語』から美的感覚の点で多大なる薫陶を受けたといえる『新古今』時代の歌人たちによってそれはさらに深化され、確立されることになる。

俊成卿女の歌、

橘の匂ふあたりのうたたねは
 夢もむかしの袖の香ぞする

 たちばなの香の漂っているあたりでうたた寝をすると、
 その夢のなかでも、昔の人の懐かしい袖の香りがするのです。


そしてまた、式子内親王の歌、

かへり来ぬ
 むかしを今と思ひ寝の
  夢の枕に匂ふたちばな

 もう還ってくることのない昔を、今のことのように思い出しながら眠りに落ちて、
 その夢の枕元に匂い漂うのは、たちばなの香り。

『新古今和歌集』巻第三、夏歌


そうしてそれは、室町時代、二十一代集の掉尾を飾る『新続古今和歌集』の撰者、飛鳥井雅世が自ら選んだ一首へと連綿と続いていくのである。

言の葉の
 花たちばなにしのぶぞよ
  代々のむかしの風の匂ひを

 歌に詠まれた花たちばなをよすがとして、懐かしく思うのだよ、
 過ぎ去った様々な時代から吹き寄せてくる、花たちばなの香るあの風の匂いを。

 『新続古今和歌集』巻第三、夏歌

古今和歌集から遥か500年という歳月を隔てて、昔を偲ぶ花橘の古歌を偲びつつ、昔そのものに想いを馳せているのである。

   *

さて私は、実際の花たちばなを知らないし、その花を見たことがなく、その香りをかいだこともない。それなのに何故、私はこの花、昔のことに思いを馳せるよすがとしてのこの花の香に、かくまでも惹かれるのか。

それがまさに、言葉というものの営みである。そしてそれは文化というものの営みそのものなのだ。

名の知れぬ誰かのほんの気まぐれのような発想が、その後の歌詠みに如何に多大なる影響を与えたことか。このことはいくら強調しても十分ではないであろう。そして文化の継承ということが起こるとすれば、それは先ずは「読む」ことから始まるのである。我々は、つまり、文化の担い手としての我々は、もっと古典を読まねばならない。

だからこれからもずっと、例えば「花たちばな」の歌に、触発され続けなければならないのだ。その香を夏の風の中に仄かに感じ取りながら。そしてまた、古代から吹き寄せる「ことの葉の風」に、身を委ねながら。


(〜2012年6月)












 
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by junitchy | 2012-06-24 01:37 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2010年 01月 02日
盃に光
  元日宴
                       藤原家隆
もろ人の たちゐる庭の 盃(さかづき)に 光はしるし 千世のはつ春
(六百番歌合、春上、第三番右。壬二集、上)


たくさんの人々が立ち居る庭では、祝盃に光が一際目立って輝いている。千世を祝うこの初春の日に。


   *


名高い『六百番歌合』の春の最初の題「元日宴」、つまり新年を祝う宮中での宴を詠んだ一首。

歌合の判者、藤原俊成は
「姿は優に侍るを(=歌の体は優美だが)、盃、俄(にわか)なるやうに聞ゆらん(=盃というのが唐突な感じがする)。光も盃のひとかたはことよりて侍れど(=光というのも、盃に一面では依っているようだが)、何の光ともなくやあらん(=何の光なのだろうという感じがしなくもない…意訳)」
と述べて、この歌を負けにしている。

だがそうだろうか。題詠ではあるが、この歌の雅やかな情景を鮮やかに思い描くことが出来るように思われる。

祝宴に集う大勢の殿上人が華やかに立ち振る舞っている宮中の庭。そこへ初春の陽光が差し込み、手に持っている盃に注がれている祝の酒に美しい輝きを添えたのだ。新春を言祝ぐのにとてもふさわしい歌ではないだろうか。
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by junitchy | 2010-01-02 00:31 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2008年 03月 02日
Le rossignol
ちょっとしたきっかけがあって、書棚の奥のほうに仕舞ったままになっていた或る本を取り出す。末尾ページ余白に購入日を書き入れていた:1993年11月5日。

本のタイトルは"Anthologie de la poesie japonaise classique" (traduction: G. Renondeau, Gallimard - Collection POESIE,1978) つまりフランス語訳『日本の古典詩歌選集』。万葉集や古今集をメインに、江戸時代の俳句までを作者ごとに数首選んで掲げられているものだ。

試しに一首、引用してみよう:

  N'etait le chant
 Que lance dans la vallee
  Le rossignol,
 Qui donc saurait
 Que le printemps est arrive?

※アクサン記号は表記出来ないため省いている(たとえば1行目の「etait」の「e」にはアクサン・テギュ(´)が付く)。

このフランス語からそのまま日本語に訳してみよう。

1行目のN'etait〜は仮定法過去で「〜がもし無かったならば」の意。三行目の rossignol を仏和辞書で引くと「ナイチンゲール、夜鳴き鶯(うぐいす)」と出る。le chant que lance dans la vallee le rossignol は「鶯が谷間にて発する鳴き声」。つまり上の句は、この「鳴き声が無かったならば、」となる。4行目の saurait は savoir (知る)の条件法で、1行目の N'etait を受ける。doncは強めで「ならば」。Qui donc saurait で「では誰が知るだろうか」。そして5行目はそのまま「春が来たと云うことを」。
これをつなげてみると:

 鶯が谷間にて鳴くその鳴き声がもし無かったとしたら、
 ではいったい誰が春が訪れたのを知ることであろうか。

それほどまでにウグイスの初声が待ち遠しいという、春を待ちわぶ気持ちである。

さてこれで、原歌が浮かぶだろうか。『古今和歌集』を読んだことがあればきっと思い当たるだろう。

                    大江千里
 鶯の谷よりいづるこゑなくば春くることをたれか知らまし
 (古今和歌集、巻第一、春歌上)


…さて今年は、いつ聞くことができるだろう。
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by junitchy | 2008-03-02 16:47 | 和歌逍遥 | Comments(2)
2007年 12月 31日
夢語り、昔語り
光いでん あかつきちかく なりにけり 今ぞ見し世の 夢語りする
(光が出ようとしている。暁が近くなってきたのだなあ。
 今こそ、かつて見た夢のことをお話ししよう)


これは実在の人物による和歌ではなく、『源氏物語』「若菜上」巻で、明石の入道が娘の明石の君(または明石の女御)へと宛てた手紙の中の歌。光源氏と明石の君との間に生まれた明石の姫君(明石入道からすると孫娘にあたる)が、春宮(=皇太子)に入内して男宮を出産したとき、明石入道がかつて明石の君が生まれる頃に見た夢について語り出す場面である。

ちなみにその夢の内容とは『自分は須弥山を右手に捧げ持っていた。その山の左右から、月の光と日の光とが明るくさし出して世の中を照らす。自分自身は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。山を広い海の上に浮かべ置いて、小さい舟に乗って、西の方角を指して漕いで行く』(渋谷栄一氏「源氏物語の世界」の現代語訳より引用)というもの。これを神のお告げと信じて明石入道は長く願を掛けてきたのだったが、孫娘が第一皇子を生むに至ってそれが叶ったと感じ、この手紙を最後に山深くへと入山してしまう。明石入道にとっては栄光の時であったろう。私がこの部分を読んだとき(実は最近私は現代語訳でではあるが『源氏物語』を通読しているのである)、作者紫式部の壮大とも言える物語構想に素直に感銘を受けた。

そしてそのとき同時に、私は或る全く別の和歌を思い起こしていたのだった。それは光厳院の歌である:


  いかなりける時にかよませ給うける
                     法皇御製
見し人は 面影ちかき 同じ世に 昔語りの 夢ぞはかなき
(新千載和歌集、巻第十五、戀歌五)


解題的なことを若干。『風雅和歌集』に続く勅撰集『新千載和歌集』の完成は1359年。光厳院はこのとき既に出家していたので「法皇御製」との表記になっている。「戀歌五」での配列を見ると「面影」の歌の繋がりのなかに配置されている。この歌は『光厳院御製集』には収められておらず、晩年の作であろうか。ちなみに『新千載集』より二つ後の勅撰集である『新後拾遺和歌集』(1384年完成)にも重複して採られていて、そちらでは巻第十七・雑歌下に収められ、「題しらず」の詞書が掛かり、「夢」の歌の繋がりの中に配置されている。

この歌を初めて目にした時からとても気になっていたものの、どのように解釈したらよいだろうとしばらく悩んでいたので、明石入道の歌にある「見し世の夢語り」という言葉を見たときにこの歌の「昔語りの夢」がおのずと連想されたのであろう。いわば私のなかで繋がったのだった。勿論、内容的に通じる部分があるというのではないし、却って正反対のイメージを受ける。すなわち一方は曙光であり、これから訪れる吉兆の夢物語であるが、他方は面影、過ぎ去った昔の夢語りの虚しさ、無常である。

ここで更に連想を続けてみたい。この歌の「同じ世」という語句は、『建礼門院右京大夫集』から『風雅和歌集』(他ならぬ光厳院の撰である)に採られた一首「おなじ世となほ思ふこそかなしけれ あるがあるにもあらぬこの世に(あなたとわたくしとが同じ世にいるのだと思ってみても悲しいばかりです。こうして離ればなれとなり、生きていることが生きていることにならないようなこの世の中にあっては)」を思い起こさせる。これは建礼門院右京大夫が都落ちした恋人・平資盛へ宛ててわずかな伝手を頼って送った手紙の中での歌である。
また「面影ちかき」という語句からも、同じ『右京大夫集』から恋人の訃報に際しての詠、「ためしなきかかる別れになほとまる おもかげばかり身に添ふぞ憂き(前例のないようなこの別れ[=恋人との死別]に遭ってもなお、あの方の面影だけが今でも我が身に寄り添っているのが辛いのです)」が思い出される。
もちろん、光厳院がこの歌を詠むに際してこうした歌を参考にしたということを言いたいのではない(ただし『右京大夫集』からは『玉葉和歌集』には十首、『風雅和歌集』には六首が採られており、光厳院は『右京大夫集』の内容を熟知していただろうが)。

これらをふまえて、やや強引に解釈してみよう。「見し人」とはかつて見知った人、恋人の謂であろうか。右京大夫の歌を視野に入れつつ「死別した恋人」と言えるかもしれない。とすると、この昔の人と自分とはかつては「同じ世」にいたが今は違う。昔の人は、今では面影として自分に残っているだけだ。だから「同じ世」といっても昔の人と自分とがかつて共有していた時の「同じ世」であり、今となっては異なる世、自分のほうだけが以前と変わらず同じである世、つまり「自分のこの世での生」の謂ということになるであろう。亡き人の面影が近くに留まっていると感じられる私の人生において見る「昔語りの夢」とは、昔のことを語り出す夢、昔の人との思い出をありありと見せてくれる夢だろう。そしてそんな夢も結局ははかなく、虚しいものなのである。

意訳(というか、文法的・語釈的に誤りであったとしても、こういう風に読んでみたい):かつて見知ったあの人は、その面影は身近に残ってはいるのだが、私が現世で見る昔語りの虚しい夢とばかりに、はかなくも消え去ってしまった。

かなり強引に解釈してしまった感があるが、まあ今のところは取りあえず、これで良しとしておこう。
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by junitchy | 2007-12-31 19:37 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2007年 10月 14日
秋歌選
秋の日のうすき衣に風たちて行く人待たぬをちの白雲
   藤原定家 (玉葉和歌集、巻第八、旅歌)

秋の日の弱い陽光、まだ夏の薄い衣を着ていた旅人には涼しく感じられる風が立ち、その風に吹かれて遥か遠くに流れる白雲は行く人を待ってはくれない。もう秋になってしまったのだ。季節のうつろいは、こんなふとした瞬間に実感されるものだろう。「をち」は「遠く」の意。

   *

夕づく日むかひの岡のうす紅葉まだきさびしき秋の色かな
   藤原定家 (玉葉和歌集、巻第五、秋歌下)

暮れかかった陽光に照らされ、向いに面した岡のあたりで薄く色づき始めた紅葉は、早くもあのうら淋しい秋の色、秋の気配になっているなあ。まだ薄い紅葉が夕陽の紅によって濃く染められたかのようなその色彩に、秋の深まりを感じないではいられない。「まだき」は「早くも」の意。

   *

ま荻ちる庭の秋風身にしみて夕日のかげぞかべに消え行く
   永福門院 (風雅和歌集、巻第五、秋歌上)

風にそよぐ荻も散ってしまい、庭を吹きぬける秋風が肌身にしみてじかに感じられる、晩秋の夕暮れ時、低く斜めに部屋の奥まで差し込んでいた弱々しい陽光が、ふと、壁の上で消えてしまった。その瞬間の、言うに言われぬ美しさ。こうした仄かでかすかな動きを捉えてそこに美を見出すことのできる鋭い感受性は、いわゆる「京極派」歌人らの顕著な特徴である。

   *

まだ暮れぬ空の光と見る程にしられで月の影になりける
   伏見院 (玉葉和歌集、巻第五、秋歌下)

夕陽はまだ沈み果てておらず、その最後の残照かと思ってほのかに明るい空を見ていたのだが、それはいつの間にやら月の光へと変わってしまったのだなあ。日と月とによって繰り広げられる美しい天空の情景。

   *

月見れば千千にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど
   大江千里 (古今和歌集、巻第四、秋歌上。百人一首、二十三番)

月を眺めると、あれやこれやと思い悩まれて物悲しく感じられるものだ。なにも私一人だけの秋だというわけでもないというのに。古来、人は月を眺めては、そのいつまでも変わらぬ姿に遠ざかった懐旧を思い出し、またつれない恋人を思い慕う。秋の夜の月なら、なおさら強く物思いをさせられることだろう。

   *

嘆けとて月やはものを思はするかこちがほなるわが涙かな
   西行 (千載和歌集、巻第一五、恋歌五。百人一首、八十六番)

月が嘆けと言って私に物思いをさせているとでもいうのだろうか。いやそうではないのに、まるで月がそうさせるのでもあるかのように恨みがましく流れるこの涙であることだ。月に思いを託して詠んだ、深い情愛の歌。

   *

竜田川散らぬもみぢの影みえてくれなゐ越ゆる瀬々の白浪
   九条良経 (続拾遺和歌集、巻第五、秋歌下)

今はまだ散っていない紅葉だが、水面に映じたその像が美しく見えて、その紅色を越えゆくように竜田川のせせらぎが白い浪を立てて流れている。竜田川といえば散った紅葉が川面を流れる情景が古来詠まれるが、この歌では水に映った紅葉の「紅」と、せせらぎの「白」とが鮮やかに対比されている。

   *

眺むれば我が心さへはてもなく行方も知らぬ月の影かな
   式子内親王 (続拾遺和歌集、巻第五、秋歌下)

物思いに耽りながらぼんやり月を眺めていると、私の心までも、果てしなく広がっていってしまうかのよう。どこまでも行方も知らぬ月の光であることよ。これは単に恋人を思っての詠だろうか、いやむしろ、森羅万象へと思いを巡らしているのではないだろうか。「行方も知らぬ」(行く先も定まらぬ、あてどもない)は、式子内親王が好んで使う語。

   *

行方なき空に心の通ふかな月すむ秋の雲のかけはし
   藤原定家 (拾遺愚草、上、三四八、閑居百首)

月が澄み切って輝く秋の夜には、雲が掛け橋となって、あてどもなく広がっていく天空へと我が思いを馳せ、心通わせるのだ。先の式子内親王の詠に共通する、大きな広がりを持った歌。



(2007年9月26日 板室温泉大黒屋・音を楽しむ会 西山葵耀古さんによるピアノおよび和歌朗読「秋の歌に寄せて」のために選んだ和歌と、和歌解説)
西山葵耀古さんのブログのエントリはこちら
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by junitchy | 2007-10-14 12:10 | 和歌逍遥 | Comments(2)
2007年 08月 25日
白みゆく
また和歌をいくつか。

                                新右衛門督
ほのぼのと あけゆく空は 星きえて 色こく残る 峯のよこ雲
(康永二年院六首歌合、雑色、七十五番右、勝)

この一首は『風雅和歌集』には採られてはいないが、その撰集の準備として催されたのであろう『院六首歌合』での詠。康永二(1343)年、花園院主催の歌合である。三弥井書店『風雅和歌集』の作者略伝によると宣光門院新右衛門督(せんこうもんいんのしんえもんのかみ)で、宣光門院(花園院妃)に仕えた女房とのこと。星がだんだんと消えてゆく東雲(しののめ)の情景、山に掛かる横雲には朝焼けの赤い色が濃く照り映えている。消えゆく星の弱い光と対比的に朝焼けの濃い色が配置されている。

この同じ歌合からは、同じく明け方の情景を詠んだ別の歌が『風雅和歌集』に採られている。こちらは前にもどこかで紹介したはずだが、

                                一条
しらみまさる 空のみどりは うすく見えて 明残(あけのこ)る星の 数ぞきえゆく
(康永二年院六首歌合、雑色、七十八番右、勝)

『風雅和歌集』には巻第十六、雑歌中、「康永二年歌合に、雑色を/院一条」として入っている。作者は花園院に仕えた女房。こちらのほうがより優れているので、同趣の『ほのぼのと』のほうは採られなかったのかも知れない。それにしても、これらの、星々が消えていく情景というのは何とも美しいものではないだろうか。まあもちろんこれは個人的な好みなのであるが。院一条の歌は、一句、三句、四句で字余り。このたどたどいしいまでの言葉遣りが、私には却って薄明の空に一つ一つ消えていく星の名残を感じさせる効果を上げているとすら思えるのである。

もう一首。今度はさかのぼって『玉葉集』から。

   月の御歌の中に
                                朔平門院
白みゆく 空のひかりに 影消えて 姿ばかりぞ 有明の月
(玉葉和歌集、巻第五、秋歌下)

作者は伏見院第一皇女。この歌は見逃していた。いろいろな場所で何度か言っているが、いわく森羅万象の中で私が最も好きだと言えるのが「下弦月」であり、朝日がすっかり昇っても天空に残っているその恨めしい姿なのである。
(だが、考えてみると、下弦の月に対してこのように「恨めしい」という感じを抱いているのは恐らく後から付いたもので、それは確か立原道造の詩の影響なのである。手元に道造の詩集がないので、試しに青空文庫で公開されているものをざっと探してみたが見つからない。なんという詩だっただろう。「…限りない嘘を感じている」というような一節で終わる詩。まあ、それはともかく…)
夜明け、薄明の時。白み行く空の光に、その月影はだんだんと薄められ、日が昇るにつれて星々はすべて消え去ってしまうのにただもうその弱々しくも恨めしい姿を晒している月。私の最も好きな情景をかくも的確に詠み込んでおり、つい嬉しくなってしまう。やはり京極派和歌は良いなあ。
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by junitchy | 2007-08-25 21:51 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2007年 07月 12日
解説:『建礼門院右京大夫集』
『建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)』は、平安時代最末期に権勢をふるった平清盛の娘である建礼門院徳子に「右京大夫(うきょうのだいぶ)」という召名で仕えた或る女房が残した「家集(かしゅう)」(いえのしゅう。一個人の和歌を集めたもの)です。

幾つかの歌には長い詞書(ことばがき。歌を詠んだ機会や背景などを説明するために和歌の前に置かれる端書き)が付されており、むしろこの詞書のほうが「本文」であるかのようにここに作者の思いの丈が縷々綴られています。そのためこの『建礼門院右京大夫集』は単なる和歌集ではなく全体として日記文学のように受容されることもあります。日記といっても、むろん日々書き継がれたものではなく、自らが以前詠んだ歌を糸口にして、過ぎ去った昔のことに思いを馳せながら後日まとめられたものであり、その点からすれば和歌を軸にした作者自らの「回想録」であると言えるかもしれません。

「歌人と言える人ならば、自らの歌を家集としてまとめることもありましょうが、これは、そのような大それたものではありません」と、この家集の序の部分で述べられています。「ただ忘れ難く思われることを、折々に思い出すままに、後で自分だけで見ようとここに書き付けているのです」と。もちろんこれは作者の謙遜の辞でもあるでしょうが、この集を書き始めたきっかけというものを素直に、端的に言い表してもいます。

では作者が忘れ難いと思っている過去とは、どのようなものなのでしょうか。それは『平家物語』に描かれた時代を実際に生きた作者の未曾有の体験でした。

高倉天皇の中宮であった徳子へ仕えていたころの華やかな思い出。武士というよりも貴族のいでたちである若い平家公達(きんだち)らとの楽しい交流。そのなかで芽生えた平資盛(すけもり)との恋。思うにまかせない恋の行方に悩み苦しむ。やがて時代は急速に流転し兵乱の世へ。平家一門は西国へ都落ち。そして恋人資盛と今生の別れ。親しくしていた人々の死、変わり果てた姿。そしてついに耳にする、恋人が壇ノ浦の波間に消えたとの悲報...。ひたすら恋人の後世(ごせ)を弔いつつ、泣き暮らす日々。かつてお仕えした建礼門院を大原へと訪ねるが、往日の栄華からのあまりの変わり様に嘆く。しばらく経って後に思いがけず再出仕した宮中では昔のことが否応もなく思い出され、身も砕けそうなほどの悲しみがいっそう募る...。

平穏な貴族社会の衰退と武力による権力争いが本格化する中世の幕開け、という歴史上の大転換期の真っ只中にあって、作者は先例のない辛い別れをその身に実際に体験してきました。過ぎ去った日々の大切な思い出が失われてしまう前にせめて書きとどめておきたい、そして儚はかなくも海の藻屑と消えた恋人を願わくば自分の死後までも弔い続けていたい...。このような作者の強い気持ちが、この一篇の家集へと結実したのだと言えるでしょう。

『しのばしきむかしの名こそ〜洋琴抄・建礼門院右京大夫集〜』では、原作より幾つかのエピソードを選び、必ずしも原文の体裁にとらわれず自由に再構成した上で洋琴(ピアノ)の調べとともに朗読し、作者がこの家集に託した永久の思いを印象的に綴ります。


※『しのばしきむかしの名こそ〜洋琴抄・建礼門院右京大夫集』のチラシのために書いた解説文を転載。
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by junitchy | 2007-07-12 23:01 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2007年 05月 27日
しのばしきむかしの名こそ
pleyelさん(こと、西山葵耀古さん。ホームページはこちら)は、数年前から『洋琴・源氏物語絵巻』シリーズを手がけておられる。これは、『源氏物語』を元にして朗読台本を書き、それを朗読しながら「洋琴」つまりピアノを弾く、というもの。個人的に以前よりお知り合いだったということもあり、私はこの『源氏』シリーズの演奏会をかなり多く見てきている。

面白いのは、例えば同じ「夕顔」でも毎回完全に同じということはなく、曲目や台本はその都度かなり変わっている。また会場に合わせて様々な試みをなさっていて、衣装や舞台装飾にもこだわっている。たとえば能の舞台でのようなゆっくりとしたしぐさで登場したり、薄絹、活け花、灯などが舞台上や会場内を彩っていたり、雰囲気のあるサロンでの演奏ではケーキセットが付いたり、また演奏後に立食形式でワインとワン・プレートが付いたり、ということもある。

それぞれの場合で一貫しているのは、これは音楽以外の領域との「コラボレーション」ということだ。

もちろん、コラボレーション(共同作業)というものには当事者同士のあいだで少なからず思惑の違いや行き違いなどの微妙な間(ま)が生じてしまうものであろう。だがそれは決して欠点などではなく、ある種の「可能性」の開口なのである。

そもそもこの『洋琴絵巻』シリーズは、まずは「言葉」と「音楽」とのコラボレーション(それも日本の古典文学と、西洋クラシック音楽との)であるわけなのだが、決してそれだけではなくて、これは私がこれまで見てきて感じていることなのだが、通常の演奏会の域を越えて様々なジャンルが「競演」する「場」であり、全体としてひとつの「表現形式」なのだ、ということである。チケットぴあでの取り扱いを最近「演劇ジャンル」にしたのを「そのほうが手数料が若干安いから」などと冗談混じりにおっしゃっていたことがあるが、いやいやまさしく「演劇」的(ないし総合芸術的)な要素が強いのである。


  *


私は和歌が好きだということもあり、以前から「今度は、和歌とピアノはどうか」とpleyelさんにお話ししたりしていた。
そのとき私が漠然と抱いていたイメージは、和歌に詠まれた情景をピアノにて敷衍していく幾つかの場面の連なり、例えて言うなら襖を一つ一つ開け部屋を移りながら幾つかの屏風絵を見ていくような、そんな進行といったものだったが、もちろん現実問題としては和歌を一首ずつ読み上げてただ曲を弾いていく、というだけでは構成上で問題があるし、そもそも内容が伝わりにくいだろう。和歌内容に即した文章を合わせてみる、などといろいろと思案をめぐらしていたのだが、構想として確定することなく、立ち消えになりそうだった。

そんななかで私が辿り着いたのが『建礼門院右京大夫集』である。

『平家物語』に描かれた時代を生きた一女性が残した追憶の歌集。このように言ってしまうと、この集の或る面のみを強調してしまうことになるかもしれないが、これが一般的な導入としてはもっとも分かりやすく通りが良いものだろう。歌の前に置かれた詞書はまるでこちらのほうが「本文」であるかのようであり、作品全体として見ると平安時代の女流日記文学のように受け取られることもある。内容的にもストーリー性があり訴求力のあるもので、これをぜひ『洋琴物語り』としてやってみたいと思ったのだ。

なお、私がこの集を知ったのは『玉葉和歌集』(京極為兼撰)・『風雅和歌集』(光厳院親撰)にこの集からの歌が多く採られていたからである。以前このブログでも書いたが

月をこそ 眺め馴れしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる


や、たとえば心象風景がそのまま映じられたような

夕日うつる 梢の色の 時雨るるに 心もやがて かきくらすかな


など、新しい感覚での詠歌が京極派和歌の嗜好に合っていたのであろうし、また『平家物語』の時代から百数十年後の、今度は『太平記』に描かれることになる動乱の世(鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ)のさなかにあったということで、この先人の家集に語られている内容に深く共感されるところも大きかったのであろう。

私が原案となるべき朗読台本を書き、あわせて演奏曲目案を考えていたのだが、結局、不完全な草稿というかたちでその後の完成をpleyelさんへ委ねることになった。だが演奏者本人によって舞台的一体性をより高めたかたちに練磨されていくことで、この作品がより多くの人の心へと届けられることになれば、私としては幸甚の至りである。


(※公演内容の紹介ページはこちら
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by junitchy | 2007-05-27 14:20 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2007年 05月 13日
今や夢
『平家物語』の掉尾(とうび)を飾る「灌頂巻」では、壇ノ浦で助け上げられたあと出家して大原寂光院に隠棲していた建礼門院(平清盛の娘、平徳子)を後白河法皇が訪ねるという場面(いわゆる「大原行幸」)が描かれているが、かつてこの建礼門院に仕えた「右京大夫」という召名で知られる或る女房も、建礼門院を大原へと訪ねていたことが、彼女の家集『建礼門院右京大夫集』によって知られる。


「にようゐん(女院)、大原におはしますとばかりは聞きまゐらすれど、さるべき人に知られではまゐるべきやうもなかりしを、深き心をしるべにて、わりなくてたづねまゐるに、...」
(女院[=建礼門院]は、大原においでになるということだけは聞き知っていたが、しかるべき人を通さずに参上するわけにもいかず、それでもやはり、女院を深くお慕いするこの心を道しるべにして、止むに止まれぬ気持ちでお訪ねした)


私も、この右京大夫の思いに誘われてか行ってみたくなり、京都に着いたらまずは大原へと向かった。京都駅前からバスに乗り、桜が満開で大渋滞の鴨川沿いの道を抜けて、高野川沿いへと入っていくあたりから急に山里の雰囲気が感じられ、道の両側には低い山並みが続く(右手は比叡山に列なる)。


「...やうやう近づくままに、やまみちのけしきより、まづ涙はさきだちていふかたなきに...」
(だんだん近づくにつれ、山深くなる道の様子からして [女院はこんな深い山の中にいらっしゃるのかと思われて]先ず涙があふれ出て、言い様もない)


右京大夫が大原を訪れたのは秋のことであったから、なおいっそう物悲しく感じられたことだろう。そうして辿り着いた寂光院で右京大夫が見た有り様は、ひどいものだった。


「...御いほりのさま、御住まひ、ことがら、すべて目も当てられず。昔の御有様見まゐらせざらむだに、おおかたのことがら、いかがこともなのめならむ。まして、夢うつつとも言ふ方なし。」
(女院のおいでになったご庵室(あんしつ)の様、お住いのご様子など、全てのことがらが[とてもひどいもので]目も当てられない。昔のあのご栄華を見たことがない人ですら、ここでの大方の様子をどうして当り前のことだと思えようか。まして、以前のご様子をよく存じ上げている私にとっては、夢とも、現実のこととも、何とも言いようがない)。

当然ではあるが、実際に私が行くとこのような感じではなく、喧騒から離れていて静かでこじんまりとした、綺麗な境内だった。数年前に失火にて全焼してしまった後、元通りに建て直された本堂など特に美しく、却って場違いな雰囲気すら感じられた。

石段
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本堂
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『平家物語』では、法皇に向かって建礼門院は「六道」になぞらえて自ら体験を語る場面が描かれるが、これは後人の創作の部分が大きいのだろう。その『平家物語』成立にあたって資料としても使われている『建礼門院右京大夫集』には、右京大夫が建礼門院とどのような言葉を交わしたかについては何も書かれていない。だが当事者としての彼女の思いはかえってよく伝わってくるように思われる。


「都ぞ春のにしきを裁ち重ねてさぶらひし人々、六十余人ありしかど、みわするるさまにおとろへはてたるすみぞめの姿して、わづかに三四人がかりぞさぶらはるる。その人々にも「さてもや」とばかりぞ、我も人もいひいでたりし、むせぶ涙におぼほれて、すべてことも続けられず」
(「都ぞ春の錦なりける」と古歌にいうような美しい錦を着重ねてお仕えしていた女房は六十人あまりもいたが、今では、その人は誰であったかと見忘れるほどにやつれはて、墨染の姿で、僅かに三、四人だけがお仕えしている。その方々にも「それにしても、まあ…」とだけ、私もその人も言い出したものの、むせび泣く涙にいっぱいになり、まったく言葉も続けることが出来ない。)

今や夢 むかしやゆめと まよはれて いかにおもへど うつゝとぞなき
(目の当たりにしているこの今が夢なのか、それとも昔のことが夢だったのかと思い迷われて、
どんなに考えてみても、本当のことだとは思えない)



汀(みぎわ)の池とよばれる庭は、平家物語の当時そのままの姿を伝えるものだという。樹齢千年以上もあったのに近年枯れてしまった松が、神木として祭られていた。また「諸行無常の鐘」との名のついた古い鐘楼があるが、保存のためか梵鐘を撞くための撞木はロープで固定されて鐘を撞くことは出来ないようになっていた。

神木
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諸行無常
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朽ちた松と、撞かれることのない鐘。この同じ場所で、かつて起こったであろうことに思いを馳せ、しばし沈思。今ここで目にしているものは、では果たして現実なのか。それとも、『平家物語』あるいは『右京大夫集』の言葉たちによって作り出された虚構の世界だったのだろうか。


「さる程に寂光院の鐘のこゑ、けふも暮れぬとうち知られ、夕陽西にかたぶけば、御名残をしうはおぼしけれども、御涙をおさへて還御ならせ給ひけり。」 (『平家物語』)


後白河院が聞いたこの鐘の音はもう聞こえないが、たしかに夕暮が迫っていた。名残惜しい気持ちで、寂光院を後にした。
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by junitchy | 2007-05-13 18:01 | 和歌逍遥 | Comments(0)
2006年 10月 15日
朝の月、朝の露
西園寺兼実(さいおんじかねざぬ)が秋の朝露を詠んだ歌を。


 (題:草花露)          入道前太政大臣

 数々に 月の光も うつりけり 有明の庭の 露の玉萩

 (『玉葉和歌集』、巻第四、秋歌上)


これはとても詩的な情景だ。「数々に」というのはつまり露のひとつひとつに、ということだろう。明け方まで残る月が西に傾きながら夜が明けていく時分、庭の玉のように美しい萩の上に数多く置き結んだ露のひとつひとつに、月の光がうつってしまったことだなあ。夜が明けると月の光は弱々しくなっていくのだが、その光がさながら朝露に移った(=映った、光が映じた)かのように、秋萩の上の数々の露が光っている。その露とてきっと、日が高くなればやがて儚く消えてしまうのだ。うつろいゆくひとときをとらえて詠み込む、いかにも京極派らしい歌である。


同じく玉葉集より、もう一首、

 朝露をよみ侍りける        入道前太政大臣

 入り残る 雲間の月は 明けはてて なほひかりある 庭の朝露

 (『玉葉和歌集』、巻第四、秋歌上)


こちらも前の歌と同様の趣意を詠んでいる。まだ沈まずに残っている雲の間にある月は、すっかり夜が明けて弱々しくなって、よりいっそう光り輝いているのは、庭に置き結んだ朝露のほうだなあ。もう少し敷延すれば:夜が明けてしまっても雲間の月は「なほひかりある」(それでもまだ光り輝いている)が、それにもまして「なほひかりある」(よりいっそう光っている)のは、庭の朝露のほうだよ。「なほ(猶)」という語をどちらの意に取るかによって、「ひかりある」は月にも、朝露にも、それぞれに掛かるように読める。いずれにしても、片や恨めしく空に残りつつやがては沈み行き、片や今は光り勝っていても日が高くなるにつれ程なく消えて行く。どちらも儚い情景だ。


最近はすっかり秋めいて朝晩は肌寒く、もし朝早くに起き出して散歩でもしてみれば、まさに上の二首のようなかりそめの美しい情景を目にすることが出来るかもしれない。いやもちろんそんな期待は、朝寝坊の身にとってはただもう徒(あだ)な願い、儚い夢だったかもしれないが。
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by junitchy | 2006-10-15 10:41 | 和歌逍遥 | Comments(0)